[ [ [  共同作業  ] ] ]


 「何作ってるの? 残業なんて珍しいじゃない」
「媚薬」
「…………」
「…………視線が思いっきり冷たくなるのはわかってますけど、俺だって不本意なんですよ。
 こんな果てしなく毒にも薬にもならない詰まらないモノを作るのは生まれて初めてですし、これからも一生起こりえないと思ってますから」
「じゃあ何で作ってるのよ?」
冷たい目のまま、ミリーは腕を組みふーんと不審げに鼻を鳴らす。ダポンが自分のために作っているとまでは疑わないが、たとえ金儲けのためであったとしても軽蔑する。
 世のため人のため、役に立つなら世紀の発明並、迷惑かけるなら犯罪級の薬をつくるこの男が、媚薬。有り得ない。
 はぁと小さく息を吐いて振り返る薬剤師。
 顔を動かすのが億劫なので頭一つ分大きい彼女を上目遣いで見ると、秀麗な眉毛が歪められている。彼女の心情が手に取るように読めた。誤解のまま放置しておくのはダポンの薬剤師としてのプライドが許さない。
「六月の遠足に同行する許可が欲しいんですよ」
徐に薬を置いて懐からいつもの葉っぱを取り出すと、タヌキはそれを器用に頭において両手を叩いた。
 ぽわん、と独特な音がして煙の中からエージェント社報イケメン部門・結婚したい部門・抱かれたい男部門の三部門で殿堂入りという快挙を果たしたロジャーの姿が現れる。
 書類を手に、何故か爽やかな笑顔だ。

「……ほう、移動願いか。
 しかし、まあ、まだ事件が終ってから日も浅いからなぁ、たとえ半日とはいえお前が情報局の監視外の行動をとるとなるとそれなりに手続きやら裁可やら必要になるだろう。……近頃の態度を見るに口添えをしてやれないこともないが、まあ、お前次第だな。
 ところで。
 全く以って私的な相談だが、日々の(夜)生活に潤いを与えるような薬が是非とも必要なのだ。
 飲んだら五分で凄い状態になるような、そういう魔法の薬、お前なら作れるだろう? 勿論、危険な成分が一切無くて体に良い健康的な薬で、かつ、無味無臭な上に副作用もあってはならんぞ。
 経費はいつもの口座にあるのを好きなだけもっていけ。
 じゃあ、頼んだからな」

声はダポンのまま変わらないが、仕草はたいしたものだ。これだけの変装術ならば騙され手も仕方がない。
 再び煙が上がり、そこにはいつものタヌキが居た。
「―――って」
ロジャーのどう見ても職権濫用行為はダポンに対してはよくあることなの興味を惹かれなかったが、ミリーは小首をかしげつつ、思ったばかりの疑問を口にする。
「でもそれって矛盾してない?
 凄い状態になってる時点で既に体に毒だし、よく効くってことは副作用も良く効くってことだし」
「……そうなんですよ」
それは図星。
 ダポンは頭に手を置いて、大きく息をつく。だから大変なのだ。ただのそこいらにある媚薬よりも多少効くという程度でよければ、すぐに作れたものを。
 うぜぇ。
 と、タヌキがこっそり呟くのがミリーに聞こえた。
 目つきが悪くなっている彼は、昔通りの地が出て言葉遣いも態度も途端に悪くなる。二重人格的態度に関してはミリーもそれは人のことを言えた義理ではないが、流石にウザいは大人気ないだろうと思っいつつ、反面、それほどまでにこのロジャーの依頼を受けることがストレスなのだということも理解した。
 一応彼は優秀の上に超がつく薬剤師で、魔法の国でもかなり高級な薬しか作らない。薬に貴賎があるわけではないのだが、やはり、夜のお供などという低俗な薬を作らされるのは腹立たしいようだ。彼女の推測は正しく、薬の効果もアレなうえ、しかも作るのもただ手間がかかり良い材料を集めるのが難しいだけで、興のない薬作りにダポンは半分飽き飽きしていた。出来るかどうかわからないという実験的な薬ならば、最後の一瞬で崩壊しかねないというそのスリルが味わえるというのに。つまらないなぁと何度目かになる呟きをそっと心の裏に吐き捨てる。
 丸い指で摘まれているのは大きめな試験管。その中の薬は、不思議な色に輝いていた。試験管壁面のメモリは、きっかり250のライン。使い込まれているものなのだろう、硝子は微妙に変色して不思議な色合いを見せている。この薬の色は不思議と良く映えた。
 それをバナーの火にくべて、揺らして素早く内容物を拡散させると、次第に色が落ち着いたものへと変わっていく。ふわりと広がる、甘い香り。化学的なものではなく、むしろ、花か何かの一種のようで、ミリーはふと同僚のつけている香水を思い出した。
 しかし記憶の香水の香りはとは比べ物にならないほど、今漂っているそれは蠱惑的だ。
「媚薬なんて、本当に存在するんだ」
そんな言葉が口をついてでた。
 ダポンは手を止めず、首を回して視線を寄越す。
「簡単に言うと、ある科学物質の作用に、一部の酵素活性を阻害させるやつがあるんですよ。その酵素活動がなくなると、陰茎周辺部のNO作動性神経に作用して、血管を拡張させて血流量が増える。それで勃起が容易になる。
 ま。単なる勃起のための薬ってわけなので、性的興奮があったり精液が増えたりするわけじゃないんですけどね。
 効用が顕著なので、これをベースにして性的興奮を起こすものをつければなんとか形になるかと。性的興奮を起こすタイプの物質はあまり効き目が顕著とはいえないのでそれとの兼ね合いがあるんですけど。個人差も激しいし。
 それで、あと感度をなんとかすれば結構なものにはなるはずです。上手く焼き固めさえすれば……ああでも、感度は薬自体に魔法をかければ多少はなんとか出来るか……。
 となると相性の良い呪文は―――いやいや待てよ、あれは良くないなぁ―――」
話している間に思考の迷路に入り込んだ薬剤師は、説明していたという現実を忘れて宙を見ながら己の思考の狭間に入り込んでしまった。
 彼の説明から興味を失ったミリーは周囲を見回す。彼の研究室はそうでなくとも面白いものが多い。机の上は珍しく乱雑で、数冊の厚い本が開かれ、ノートが何冊も重なっていた。作り始める前に、何度も机上で試行錯誤したのだろう。つまらなくて低俗と言ってはいるが、薬を作るとなると真剣な姿勢で取り組んでしまう。手を抜くということが本能的に出来ない性格なのだ。
 ミリーはちょいちょいと色々弄る。普段のダポンなら嫌味の百や二百を言って止めるのだが、今は薬の設計の方に一生懸命。
 その間に、薬の色が完全に落ち着いた。
 ぶつぶつと独り言を呟きながらそれを試験管立てに戻して、別の試験管を持ち上げて同じように火にくべる。研究室の隅にあるサナダムシの標本と戯れていたミリーは、戻ってきて、今できたばかりの薬をまじまじと見つめた。何だか不思議な色だ。しかし、あの甘い香りはもうない。
「ふうん。じゃ、男性用だけなのね。
 残念」

ばさ。

 ―――ダポンの横にあった最終計画ノートが落ちた。

 タヌキは首を回した。
 限界まで開かれている小さな目。それが、幼馴染の顔に焦点を合わせたまま固まって動けなくなる。
 日常の会話の話題にセックスだのSMだのを持ってくるのはなんでもない。勃起作用とか学術的に言うのも問題はない。……なのに、この幼馴染自身が性に興味があると匂わせる、ただそれだけで、言葉を失う程の衝撃が襲った。
 ダポンが驚愕で動けないのだと理解した途端、ミリーも一気に紅潮した。途方もない羞恥心。
 ぴんと立つ白い耳まで真っ赤にして。
 両手を頬に添えて視線を床に這わせながら狼狽える。言い訳をしたいのに、喉がからからになって声が出ない。

 双方、自分に一杯一杯で動けなくなってしまった。

 ダポンは自分を説得するのにかなりの時間をかけてから、なんとか普段の表情に戻った。だが、耳と頬は真っ赤のままで、かつ、試験管を持つ指は動揺を隠せず震えている。コホンとわざとらしく咳払いをして、ミリーに正気に戻るよう促した。
「……じょ、女性用の媚薬なんて俺には無理ですよ。
 理解出来ないものは作れません」
牽制する言葉に、彼女も頬を赤らめつつ強く否定する。
「あ、あ、あ、当たり前でしょ!」
ようやく声が出て。
「ち、違うのっ。もし作れたら売れると思っただけなのよ。
 多少値が張っても、その、女性用ってその手の魔法がないから。それだけでっ、本当だからっ」
頭の中で構築していた言い訳をまくし立てる。身振り手振りつきで、しかも必死の形相。あまり取り合いたくないダポンは、そうですねと適当な返答を返して視線を逸らす。彼の顔はまだ赤い。
「あ、あの。
 ああ、でも、その、そういえば、男性の勃起促進の魔法って、確かかなり簡単なのなかったかしら? なんかネットで見たことがあるような気がするんだけど。
 魔法消費量がやたら多いやつ。
 先輩なら多分簡単に使えると思うんだけど……」
ミリーは唇に指を這わせながら思い出す。
 そう、それを教えればわざわざこんな薬を作らなくてもいいような気がする。
 いいアイデアではないかな、と彼女は一瞬期待に胸を膨らませた。冷淡な幼馴染の反応を見るまでは。
「ありますよ。この薬の基本構成にそれが入ってますし。
 ただ、そういうのはゾロリさんが嫌がるんでしょ」
薬剤師は即答して背を返すと、ノートを拾い上げてから中断してしまった作業に集中し始める。まるで彼女の存在を無視して。
 試験管を新たなものに切り替えて、同様の作業の繰り返し。火にくべながら左手でペンを持ち上げると、先ほど新たに考え出した案をノートに書付け始める。
 嗚呼、とミリーはその背中を見てようやく理解した。

 ……魔法が使えない者は、魔法をかけられるというその行為自体が嫌なのだ。

 自分もまだまだだなと後悔しながら、ふと首を回した。
 その視界に、不思議なことが書かれているラベルが入り込んだ。不思議というより素敵か。見たことも聞いたこともないことが書かれているその文字列は、ミリーの悪戯心を刺激した。薬瓶を持ち上げて、ラベルを三度ほど読み直し、そして、彼女は忙しそうな薬剤師の後ろに立った。

「……これ、入れてみたらどう」
「は?」

ついと長い二本の指でつままれているのは、細粒剤用のプラスチック製の容器。100mlと小型のそれには不釣合いなほど大きなラベルが貼られている。内容、日付、効用その他諸々。
 ダポンはそうやって細かにラベルに情報を載せるのが好きなので、容器のサイズはこれよりも小さなものはない。それはともかく、その大きなラベルのおかげで、ミリーでもそのダポン家秘伝の特殊薬の内容を理解できたのである。
「それ、いいんですか媚薬として」
「だって先輩が使うの、どうせゾロリさんでしょ? なら、別に構わないんじゃないの。媚薬として」
彼女はこともなげに言う。
 唖然とする薬剤師は、しかし数秒考え込んで、ぽんと手を打った。

「構わないですよね。ゾロリさんだし」
「そうそう。そして先輩だもの」


 *****

 数日後。
 騙されて薬を飲んでしまったゾロリが凄い状態になると共に子供化してしまい、手を出したいけれど出せないという瀬戸際で悔し涙を流しつつ床を叩く魔法使いの姿があったのである。




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