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「用が終ったのですから、俺は帰ります」
と、淡々と男は言い放った。
彼の目の前には、髪の長い、ハリネズミの一族の女性がすっくと立っている。掛け値なしの美人という言葉がまさにぴったりの、一見したら忘れられなくなる愛くるしい顔立ちだ。しかも今は高ぶった感情の所為で頬が赤く染まり、長い睫がふるふると震えている。美人が怒ると迫力があると言うが、まさにそれで、周囲の通行人たちも僅かに見ただけでぎょっと足を止めてしまう。
その後ろには、ロジャーとゾロリ。
二人とも困った表情は浮べるものの、どう声をかければ良いか分からず立ち竦んでいた。
「……一緒に買い物するって言ったじゃない」
「したでしょう。俺の分。一緒に」
何か問題でも? と事も無げに男は言い返した。
猫族の独特な三白眼はつまらなそうに瞬かれる。背はあまり高くなく、女性と同じくらいか。美人と端的に言ってしまえるミリーとは対照的に、男はあくまで普通だった。普通、というよりは、無特徴。記憶になんとか残るのはせいぜい目深に被られた黒い帽子だけだろう。
それもそのはずで、目立つのが嫌いなダポンの変身した姿なのだ。
それが起きたのは、炎天下の歩行者天国のど真ん中。
喧嘩の原因は、まるっとダポンが悪かった。
遠くの街まで一緒に買い物に行こうという話になり、箒で連れて行ってもらって、自分の分を買ったら自分だけ帰ると言い出したのだから。
「買い物付き合うって言ったら、普通、全員分が終るまで一緒にいるもんでしょうっ!」
「はぁ? 何でそんなことするんですか。
馬鹿馬鹿しい。
そんな約束した覚えはありませんし、それとも何か証拠や契約書でもあるんですか?
俺の分を買えたのですから俺は帰ります」
「あたしの最新式の一本刀 2008モデル選びはどうなるのよ!」
「……一本刀なんてマニアなもの何も最新式なんかじゃなくてもいいでしょうが。
そんな愚にも付かない作業のお供なら、ロジャーさんとゾロリさんがお似合いでしょう。人生がまるっとは暇潰しみたいな人たちですし。俺は遠慮願いますよ」
ゾロリとロジャーの額に、びきっと数本の血管が浮かびあがる。引き攣る笑み。この年下の性格の悪さは重々知っているが、それでも時折、本気で殴り倒して吊るし上げたくなるほど腹が立つことがある。大人気ないとかそういう理性さえ邪魔しなければ。
ミリーは、だらんと全身の力を抜いた。
顎を引いて、壮絶な目で幼馴染を睨む。
「ふうん、そっかぁ……。
だから一番に買いたいって言い張ったわけね貴方」
「さて? なんのことだか。
さっぱり」
彼は肩を竦めて手の平を上にあげると、朗らかで悪意のない笑みを浮かべる。
ぼわっと、小馬鹿にされた三人から立ち上る怒りのオーラ。見えないものが見えるという不思議な現象が発生し、不穏な気を悟った周囲の通行人は彼らを避けた。まるで川の中に小石を置いた用に、道端に不自然な空間が現れた。
用があるから帰りますとかそういうことを言わずに、あえて三人が怒るだろうタイミングで怒るようなことを言う。そして予想通り彼らが怒り出すのが、ダポンにとって小気味良くてしょうがない。
嗚呼、楽しかった。
と腹の中で笑いながら彼は踵を返す。今日は欲しい物が安く手に入った。そして、ミリーの腹を立てる顔、ロジャーの怒り出す一歩手前の表情、ゾロリの歯噛みする顔が見ることが出来た。これ以上ないくらい大満足だ。
立ち止まるような素振りはない。本気で彼は帰ろうとしているのだ。そう、三人は理解した。
震えるミリーの拳が、さらにきつく握り締められる。
すう、と大きく息を吸い込み、腹に力を込めて。
「巨大化して裸になって卑猥物陳列罪並の行為したくせに!」
ぐさ。
……なんて、陳腐な効果音が、ロジャーすら聞こえたような気がした。
ダポンの足が止まった。それも一歩踏み出そうと右足が宙に浮いたままで。
ゾロリとロジャーはあまりの発言に一瞬心臓停止。
そして、慌ててミリーへ振り向く。ハリネズミの美女は、きっとダポンの背中を睨みつけたままだ。
彼女の声は大きい上に良く通る。そして見れば美人。通行人が観客に変わるのは当然の流れだった。不自然に開いた空間にはすぐに、人だかりが出来上がった。
「ウスターソースを街にぶちまけようと変な気球を飛ばすとか頭の悪いこと考えてさっ」
ざわざわざわっ―――彼女の言葉を瞬間的に理解した勘の鋭い観客達は、すぐに、周囲に自分の考えを伝える。と、そこここで驚きの小さな声が上がり、さらにそれを他の者にも伝える。この国の者にとって例の事件は記憶に新しい。幾重にも波紋が広がった。
腹が立つのは分かる。それは同情できるし、現に自分も凄く凄くダポンの今の発言には怒りが込み上げて理性を失いそうになっていた。
しかしそれにしても、言っていいことと悪いことがあるような気がするのだが……とロジャーは混乱しながらも思った。
「ミリーくん……っ」
彼女のこれ以上の暴挙を止めようと手を伸ばしたが、それは次の予想を二足飛びで軽やかに超えたトンデモ発言に空を切った。
「しかもビルも気球もヒミツ基地も全部自分の顔を基にデザインしてセンスが
先輩並に崩壊しているくせに―――っっ!」
エリート魔法使いはビシッと完全硬直。
ゾロリはぽんぽんと恋人の肩を叩く。―――気にするなよ、という優しい同情を含ませて。だが彼女の発言を否定してやれるほどの優しさはゾロリは持ち合わせていなかった。それは地動説を認めるほどに大きな困難が伴う。
「パパぁ。
あれが、指名手配の人なのー?」
風船を持った小さな子供は、場の空気を一切読まず甲高い声をあげた。それが邪気なく彼を追い詰める。
衆人環視の的になった黒い帽子の男は、前に行くことも、戻ることも出来なくて、だらだらと冷や汗を流してその場に立っていた。
ハリネズミの美女は成功を悟って、静かに歩き出す。逃げ出せない男の真後ろに立ち、ポンと軽くその肩に手を置いた。
びくりと過剰反応にも肩を震わせて、彼は全身で振り返る。
真っ青な顔と対峙する、美しい笑み。
「でもって街中を赤褌姿で走り回ったわよね☆
―――で。一人で帰るってどういうことかしら?」
「……卑怯者ぉぉぉぉぉぉぉお……」
これだけの人に正体をばらされては、この中を通って魔法バスに乗ったとしても、戻る間中ずっとこの視線に曝されなければならない。
精神的にはタフな方だという自覚はあるが、事件以降、多少は不安定になっている。だから、魔法学校と家以外では常に変身しているのだ。
奥歯をきつく噛み締めながら美女を睨みつけるが、蛙の面になんとやら。
「じゃ。
一本刀の最新モデル見に行きましょう!
せんぱーいっ。早くこっちですよぉー」
後ろで立ち竦む二人にミリーは大きく手を振って呼んだ。
パフォーマンスに一区切りがついて、興味を失った観客達は再び各々目的地へ向かって歩き出す。幾人かはダポンの様子が気になったようで、遠巻きにじろじろと無遠慮な視線を投げかけたり携帯の写真機能でその姿を収めていたりしたが、それもじきに居なくなって、元通りの空間がそこにあった。
ゾロリとロジャーもやって来ると、彼女は嬉しそうに目当ての店に向かって歩き出す。立ち止まるダポンの肩を、ロジャーがそっと抱き寄せた。
「……大丈夫か?」
「あの悪魔あぁぁぁ……」
血の涙を流しそうな勢いで冷や汗をかいているが、目はしっかりとしていた。口の中で呪詛の言葉を洩らしているのだから、まあ一応は元気なのだろう。
彼の方は心配する必要はないなと判断したエージェントは、逆に周囲からの攻撃がないかを警戒した。
悪戯半分でこの囚人に攻撃を仕掛ける馬鹿が、まだ時折存在するのだ。曰く、悪人を懲らしめて何が悪い、と。そんなことを平然と言い放つ悪人が。
「ミリーさん怒らせると怖いなぁ」
ゾロリは頭の後ろに手を組みながら苦笑した。
怒りの収まらないダポンは八つ当たり気味に半眼で睨んで、舌打ちする。
「……ゾロリさんみたいに能天気で表面だけで人を判断できたら本当に幸せですよねぇ。
全く、その馬鹿さ加減は羨ましい。
怒らせなくても十分脅威ですよあの人の思考回路は。
自分がやりたいことがあると絶対にごり押しで通すんですから。そのためには手段を一切選ばないんですよっ。
ったく、なんなんですか。人のが嫌がることをしっかり理解しているくせにピンポイントで狙ってきやがって。あー……ったく、もう」
怒りにあわせてぱたぱたと振られる猫の尻尾。彼の目はどんどん凶悪な色彩を帯びていく。そんな熱い視線がミリーの背中に突き刺さっているのだが、どっこい、美人魔法使いは少しも動じない。ちらちらと振り返っては、早く来いと挑発で返している。
ぎりりり……と奥歯がきつく噛み締められ。
ぐっとダポンは拳を握り締めていった。
「性格が悪いにも程があるっっ!」
ロジャーとゾロリは顔を見合わせ。
そして同時に大きく息を吐き、吸い。
次の瞬間。
『お前が言うな』
ものの見事にハモった二人の声と共に、二つの押さえ気味ながらもかなりの怒りを練り込めた鉄槌がダポンの頭に下ったのである。
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