[ [ [  夏だ!  ] ] ]


 夏が近づいていた。
 だから、女性は水着を持って鏡の前に立った。
 服を脱ぎ、貰ったばかりの真っ黒のビキニを着て、たっぷりとそのまま数分間があった。
 脳内にめぐる言い訳。言い訳。言い訳の山。
 ―――血の気が引いていくのを感じながら、彼女は硬直していた。
「ただ今ー。
 あ、お姉ちゃん、綺麗な水着!」
「―――綺麗ですか? センスないと思うけれど」
買い物袋を二つ抱えたダポンは、思ったままを低く呟く。
 ネリーはくるりと首を回して酷いことを言う男をきっと睨んだ。その大きくて強い光を持つ瞳に、タヌキはたじろいで少女に小さく謝った。
 そんなことをしている間に、美人魔法使いの硬直の呪文が解けた。
「お、お帰りっ。ありがとう、買い物っ」
「ね、シュークリーム買ったのよお姉ちゃんっ! おやつにしよー」
「あら、そ、そう……っ。
 き……今日調子悪いから……ゴメンなさい、いいわ。私の分もネリーが食べて」
水着姿のまま、狼狽しながら美女は部屋を後にする。
 妹は疑問符を浮かべながら姉の後ろ姿を見送った。
 事情は大まかに察したが、ダポンはどうでもいいと片付けて買い物のしまうのを始めた。
 どうでもよくないとわかったのは数日後だ。

 *****

 情報局の廊下に見慣れぬ男がいるのを見て、ロジャーは仕事の手を止めてちょいちょいと手招きをした。男は丁寧にノックをしてから入ってきた。一応副長官というなかなかな職に就くこの男には、専用の部屋が与えられ、廊下との間が硝子で区切られている。部屋にはロジャー用の机と、応接用のソファーセットがあった。
「あ? ダポン」
既に、先客がいた。
 ソファに座ってお菓子を摘んでいたゾロリに、一瞬驚いたものの、ぽわんとダポンは変身を解いて丁寧に頭を下げる。キツネの前にはなんだか複雑な設計図があった。
「……お仕事中、失礼いたします」
「で? どうした」
「いや、ええっと、ミリーさんの……こと、なんですけど。
 なんかその、水着贈ったりしませんでしたか? ちょっと変わったものなので、おそらくロジャーさんではないかと思うのですが、その件でちょっと」
ロジャーは首を傾げると、ゾロリが設計図から顔を上げずにああと答える。
「贈ったぜ。
 大人っぽいの」
「……どうしてそんなことするんですかぁっ!?」
薬剤師は一瞬で移動して、ゾロリの前に立って机に力強く手を突く。突然現れて様に見えて、ゾロリは思わず頭を上げた。
 そこで、言葉を失った。
 目の下の黒い隈。顔に至るところに傷火傷で毛の一部が縮れている。腫れあがる眉毛のタンコブが痛々しいことこの上ない。
 顔色はありえないくらい悪い。
 まるで連日死闘を繰り広げたコロシアムの戦士のような、死相に近い疲労感が読み取れる。
「……どうしてって。
 だって似合うじゃねえか」
と遅れながら言うと、年下は憤慨して言い返す。
「似合うかよっっ。
 ―――じゃなくて、とりあえずサイズ間違えてますからっ!
 至急新しいのを贈って下さいっ」
仲間はずれにされたエージェントは、仕事を止めてソファセットにやってきた。少し拗ねているのか、口をむっと固く結んでいる。
「……なんでミリー君に」
「海行きてーなーっていったら、お前が海は汚いって言い返したから」
「馬鹿もここまでくればいっそ清清しいですね」
ダポンはぽつりと呟くのを聞きとがめて、ロジャーは彼の耳を強く引張る。
 それはともかく。
「しかし、水着のサイズくらい大したことじゃないんじゃないのか? 伸びるだろう」
「俺もそうは思うんですけど……どうにも、女性にとって一センチは大きいみたいで。
 ―――流行のダイエット、始めやがりました」
ゾロリはわからないので首を傾げると、あれか、とエージェントは声を漏らした。ロジャーが呪文を詠唱するのにあわせて、机にあった水晶球が起動し、光って画像を壁に映し出す。暫くして、そこにダイエットのCMが流れた。

 ヒリーズ・プート・キャンプ!
 7日間で見違える体に!
 ガオン公国軍人御用達!
 軍隊で採用された肉体強化プログラムの奇跡の結晶!

 マッチョな男女が笑顔で激しく踊っている。
「……これって……すごいな」
「……ええまあ」
「そうか。なるほど。ミリー君なら、脅威だな」
ダポンは沈鬱な表情で激しく首を縦に振る。
 ロジャーはエージェントたちの管理職であり、全員の魔法レベル、体力、戦闘力については一通り把握している。
 可愛い妹思いの魔法使いというイメージしかないゾロリは二人の反応が解せなかった。
「なんだよー。
 いいじゃねえか、ダイエットくらい。しかも絶食とか違って健康的だし。
 でもミリーさん。あんなに綺麗だからそんな気にしなくていいのになぁ」
気にさせたのはお前だろうがっ、とダポンが喉の奥で悲鳴をあげる。このキツネは根本的なところが全然わかっていない。
 確かにミリーは綺麗だ。だがそんなの変身でどうにでもなる。人間は内面だという言葉を是非贈りたい。
 ミリーのあの常識外のハチャメチャナな行動原理をもっと悪く評価すべきだ。
「良くありませんよっ!
 俺が死ぬでしょうがっ。
 あの人この七日間強化プログラム毎日七日間分やってから、ダイエットのイライラ八つ当たりの攻撃しかけてくるんですよっ。
 どういう奇跡的体力してんですかっ!?」
「ダイエット中なんだから多少怒りっぽくなるのはしゃあねえだろ。
 女の人には大事なことなんだよ。一緒に住んでるんだから、少しはお前だって協力してやれよ」
「俺だって出来る協力と出来ない協力とがありますっ。
 ていうかあれでサイズ変わるわけないし。変わったところで別に大した違いないし。んなものみればわかるようなのにさぁ。なんであんな果てしなく無意味なことが出来るのかなぁ……」
言いながら何かを思い出しているのか、タヌキの目じりに涙が浮ぶ。ここ数日間の命のやりとりだ。今まではある程度均衡が保てていたが、最近完全にやられっぱなしだ。
 するとさっきまでの威勢はどこへやら。
 涙を指で拭いながら、しおらしくゾロリを見上げた。
「もう頼むから、ゾロリさん、お願いです。サイズ間違えたって言って別の水着贈って下さい。それでいいですから。それだけでいいですから……。お支払いは私がしますし。いやもうちょっとセンスのある水着買って来いよとか思ってませんから。お願いします……」
普段は生意気を絵に描いたような男が、ぱたんとテーブルに伏すとしくしくと泣きながら妥協案を持ち出す。
 今になって、全ての疲労感が襲ってきた。
 ここまで来るのが精一杯だった。
 ミリーはダイエット中だからと食事は極端に量を減らした。その余波は同居人たち全員があおりを食らった。
 ネリーちゃんの分はこっそり別口で作ってお弁当にしてあげるが、自分の分まで手はまわらない。非常食でなんとかやり過ごしているが、ダイエットに必死になっている魔法使いよりも急激に体重が落ちてしまっている。
 ヒリーズ・プート・キャンプの威力は凄かった。流石軍人用のプログラムと歌うだけはある。
 空腹の所為で魔法使いは常時目が据わっており、とにかく怒り易い。ちょっとしたことで喧嘩を始めたら、拳のキレが今までないくらいに上がっていた。しかも数撃の連打で壁に穴があいた。
 もうこれ以上あの同居人につき合わされたら本当に自分の命のともし火が消えてしまいそうだ。
「…………ふむ。それだけ戦闘力があるとなると、ここら辺のはミリー君に任せられるな」
と、管理職は別のことに興味がとられている。

 コンコン。

 ぎくり、と顔を強張らせ三人は同時に顔を向けた。
 噂をすれば影。先人の言葉が過ぎる。ダポンの顔色は真っ青だ。
 ―――が、開かれた扉の先にいるのは、スーツ姿の犬のエージェント。
 自分に視線が集中しているのに彼は一瞬たじろいだようだったが、すぐに一礼をしてはいってきた。手にある書類をロジャーに渡しながら報告する。
「ロジャー副長官。言われていた資料の整理が整いました。
 こちらで」
ロジャーは受け取らず、机に視線を動かした。それだけで男は察した。
「ああ。
 ゾロリ、これでいいか?」
男は低い客用のテーブルに分厚い資料の本を丁寧に置く。
 ゾロリは一冊手に取り、ぱらぱらと開く。『魔法の国年鑑 90』という見も蓋もないタイトルだが、一刻も早く知りたい情報があった。
 だが、手にもって、ある種の違和感を感じた。よく見ると、表紙の上に白い粉がかかっているではないか。ぱんぱんと払う。

 ……粉?

 四人の意識が一つになる。
 はっと、一番先に顔を上げたのはゾロリだった。
「こんにちわ☆」
天井に穴が開いて、手を振っている愛らしい魔法使い。
 その目の下には黒い隈があり、火傷や生傷があり、タンコブもある。だがタヌキとは違うのは、その目は美しいくらい爛爛と輝いていた。お肌も何故かつやつやだ。
「扉はあっちだろう、ミリー君っ」
「だって扉から入ったら逃げるじゃないですか」
ダポンは懐にしまっていた試験管を取り出しながら、一跳躍して部屋の隅へと逃げる。完全戦闘態勢だ。
 ミリーはそこからすとんと軽やかに下りた。

「……で? 人がサイズ変わるわけなくて、変わったところで別に大した違いないくて、幼児体形で洗濯板でダイエットなんかただのギャグにしか思えない、で、なんだってっ?」

 笑顔だが目が笑ってない。
「お前、そういうことを言ったのか?」
低い声で詰問したのはロジャーだ。ミリーを慮って、というわけではなく、もしそれが事実だとしたらミリーを留めるのが大変になるから、と予想して。
 最大限の警戒を払いながら、ダポンも淡々と返す。
「……売り言葉に買い言葉です。
 俺のことは肥満を超えた超肥満で置物よりも漬物石みたいで10キロダイエットしても誰も気づきやしないからいいだろう、と宣ったのでつい」
ミリーは腕を組んで、かかとで強く床を叩きつけた。
 どしんと震動が起きて部屋が傾く。
 ―――恐るべし、ヒリーズ・プート・キャンプ。
「あー。み、ミリー……さん?
 その、俺様が贈ったの……ええっと、サイズが…まちがって……」
「ゾロリさん。ありがとうございます。
 私、ああいう素敵な水着頂いたことなかったので、是非今年の夏に完璧に着こなせるようになってみせますからね。諦めませんからね」
力強い言葉にゾロリは言い包められて首を縦に振る。言い返すなんて出来そうにない。
 少しやばっかたな、と思ったが後の祭りのゾロリは、ロジャーに目で合図した。魔法使いはキツネの視線に気づいて小さく首を縦に振る。
 喧嘩の途中だった二人は、相手の顔を見た途端完全に殺気立った。さっきまで疲れて泣いていた薬剤師は、いまや目に火を宿らせて彼女を睨んでいる。右手に握り締める防御用の魔法薬、左手は起爆用のニトログリセリン。さあどのタイミングで安全装置をとるべきかとタヌキの脳内でいろんなシュミレーションが行われる。
 一方ミリーは、懐の刀を抜いて構えていた。
 今はまだ刀身は赤く、魔法が籠められていないが、青くなればそれはおぞましい力を発揮する。特別な一本刀だ。爆発そのものを切り捨てることすら可能。
 どちらかが動けば―――動く。
 その間を探りあう。
 まさに一触即発の緊迫感。
 刹那。

「うわっ!」
「ひゃんっ」

二人は同時に不思議な膜につつまれた。
 戦いに集中するあまり、忘れてはならない二人の存在を完璧に忘れていたのだ。本を届けに来た事務員は危険だからとロジャーが瞬間移動で外に出しておいた。一方ゾロリは懐に閉まってあったそれを起動させたのだ。
 ダポンとミリーを包んだ泡は空中へ持ち上がり、二人が蠢いているが決して破れそうな様子はない。青い刀も見事に跳ね返している。
「おお、結構タイムラグないなー」
「ですね」
試作品だったが、なかなかの出来だ。ゾロリが今まで睨めっこしていた設計図はまさにこれだったのである。
「ゾロリさんっ、なんで俺までなんですかー!? あっちの方が凶暴でしょうっ」
「お前が一番必要だろうが。ちょっとは反省してろ」
「ミリー君。遊んでいたから減給」
「遊んでませんっ! ただの殺戮ですっ」
「……ついでに危険Aクラスの任務増やしておくから、有給はないと思え。なんならそこの薬剤師でもつれていけばなんとかなるだろう。
 じゃあ、お昼行きませんか?」
「そうだな。試行もなかなか良さそうだし」
「ですね」
にこりとロジャーは微笑んだ。隠しの魔法使い捕縛機械をゾロリに頼んでよかったと、心底思う。ミリー級が捕まえられるなら予想以上だ。
 うーんとゾロリは大きくのびをした。
「ちょっとぉぉぉっ! どうしてこの人が傍にいるんですかっっ」
「なによっ、馬鹿タヌキっ! 大体あんたが……」
「あんな似合わないセンスゼロの水着に一喜一憂するなっ。もう少し合理的に考えて下さいよ」
「あたしはいつだってあたしの道を進むだけよ!」
「だーかーらーっ! それなら、どうして……」
喚きたてる年下をおいて、ロジャーとゾロリは部屋を後にする。
 しかし一時間後。
 一緒にウナギを食べて機嫌の良い二人が戻ってくると、部屋は静かだった。
 疲れ果てた二人は喧嘩しているうちに眠りこけてしまっていたのである。
 数日後、ダポンは不貞腐れながらもミリーとネリーの新しい水着選びに付き合い、ゾロリを交えてネリー、ミリー、ダポンの四人にで海に遊びにいった。帰りの電車の駅で、一行の到着を優秀で高級取りのエージェントが鬼の形相で只管待っていたことまでは語るまでもない。




MAIN  ・ BACK  ・ NEXT