[ [ [  もしも  ] ] ]


 もしも、貴方の恋人が浮気をしたらどうしますか?

 単刀直入な一文が画面に現れたのは、食後、ガオンがリモコンを弄ってテレビをつけた瞬間のこと。とにかく、非常に、タイミングが良かった。
 そんな唐突な問い、心臓に悪い。しかも、同棲真っ最中の恋人同士となればなおさらだ。
 ガオンは僅かに驚いたものの、直ぐに前を向いて恋人のゾロリの反応を見る。キツネはまだ驚いていたが、オオカミが薄くにやついた表情で自分を見て笑っているのに気づくと、途端に不機嫌そうに眉根を顰めた。
「お前ならどうするんだ?」
と、尋ねたのはガオンだ。
 余裕綽綽といった表情。
 絶対に浮気をしない自信があるからこそ、彼は面白半分に尋ねているのだろう。
 そんな二人の横で、テレビが言う。
「A,殴り倒す。
 B,問い詰めて謝らせる。
 C,別れ話を切り出す。
 D,何もしない」
ゾロリは冷たい目をして、躊躇なく言い切った。


「殴り倒して謝らせて別れ話を切り出して別れる」


顔はいつものそれだったが、灼熱のマグマを腹の底で煮えたぎらせているかのような重いオーラを背負っている。まるで部屋全体の酸素が足りなくなったような、重い空気。修羅場を幾度も潜ってきたキツネの本気の怒りをガオンは感じ取った。
 もしもの話だというのに、想像力豊かな彼はそれを現実と同じようなものとして捉えてしまっているらしい。
 口を引き攣らせて張り付いた笑顔を作ると、お前は? と問い返してきた。
 前に座る王子は彼の想像で生み出された怒りをまともに受けたというのに、まだ笑っていた。


「何もしないで、死ぬさ」


 彼もまた、躊躇なく言い切った。
 ぴくん、と、見開かれる大きなゾロリの瞳。
 次の瞬間にそれは伏せられ、きょろきょろと周囲を見回し、視点が落ち着かなくなる。それは戸惑う彼の気持ちそのものを表していた。
 ガオンの後ろ向きで、だが、なんとも言えず愛情深い答えは、少しも予想していなかった。ゾロリは自分が簡単に怒ってしまったことを恥じ入ると同時に、告白にも近いその愛の言葉に、根本の感情がぐらぐらと揺さぶられてしまったのだ。
「……なんかそれ、ズルイ」
暫くの間が空いて、そう答えるのがやっとだった。
 王子は低い声でくすりと笑う。
「ずるくはないだろう。
 本当の気持ちさ」
でも、と上目遣いで可愛く睨みながらキツネはなおも言い募る。
「お前、王子じゃねえか!
 そんなことで一々死んでいたらシンシア女王やお城の奴らが困っちまうだろ。それに国民だって迷惑だ」
「そうだな、私は王子だし―――まあ、王になっているかもしれん。
 だが、そんな現実は堪えられん。浮気など、信じられないし、信じたくない。
 だから、新たな王位継承者に頑張ってもらうとするか」
「そんなこと言うんじゃねえよ―――」
ゾロリが切なげに言い返そうとした。
 が、同時に。
 オオカミは口を開く。キツネの反論はガオンのより大きな一言によって完全に打ち消された。


「だが死ぬ前に国営放送でお前のあられもない姿(ハイビジョン)をお茶の間時間帯に流す。
 ていうか民放の番組でも流す。
 エロくてエロくてどうしようもないお前の顔と体を流す。
 外へ出れなくなるような素敵映像も、ママに見られたらそれだけで憤死出来るような強烈映像も、一生後ろ指指されること確実決定☆な問題映像も一切合財電波にのせる。
 そして一緒に死んでもらう」


 ……………………。


 ……笑顔で高らかに宣言されたその言葉は、大怪盗の堪忍袋の緒を切断するのに十分の威力があった。ゾロリは大きく頬を引き攣らせて、ぴくぴくと震える唇で「ほほう」と小さく呟いた。
 このオオカミは、一国の王子であり、王子としての職務を正確かつ立派に果たし、常に沈着冷静かつ秀才で、黄色悲鳴が絶え間なくバックコーラスになる男だ。長所をあげれば百や二百を超える程、とった資格を数えれば千や二千を超える程。しかし、天に二粒を与えずという諺のまさに反例のような男にもかかわらず、不思議なことに、欠点があった。
 ゾロリと同様、自分の想像だけで怒り出し、妄想を進めて自分を追い詰めることが出来るのだ。彼の脳内では既にゾロリは浮気をしたことになっており、彼は既に生きるか死ぬかの選択を選ばねばならない状況に陥っていた。
 天才と馬鹿は紙一重、という格言になぞらえるなら、この王子は確実に後者である。
 ガオンは余裕があって笑っていたのではなく、その問いを画面で見せ付けられた瞬間から、笑顔が固まってしまって崩せなかっただけなのだ。
 ゾロリは徐に席を立って、ばんっと荒々しくテーブルに手をついた。食器の一部が跳ねて床に落ち、その生涯を閉じる。
 一方。
 ガオンも同じように立ち上がって恋人に対峙する。笑ってはいるものの目は死んだ魚同様濁っているどころの騒ぎではない。
 二人の間に火花が散った。
 部屋の中は不気味に静まり、唯一、テレビ画面から無駄な音が流出し続ける。コマーシャルが終わり、司会が話し、ゲストが答え―――

 画面の中の人々が爆笑した。

 それを機に、二人は一瞬で大きく飛び退き、間合いをとる。
 ゾロリは後退しながら右手を王子に向けた。その手に握られているのは、開発中の『ゾロリンボール改』。
「国家権力を私的に使うんじゃねえぇぇえ―――
 っていうかその前になんだその映像っ!
 勝手に撮ってるんじゃねえだろなこのド変態っっ!」
『ゾロリンボール改』はいつものゾロリンボールの代わりに鋭利な刃の棘付き鉄球を装着して殺傷能力を数倍に改良した優れものだ。きっと深夜の通販番組に流したら馬鹿売れするに違いないと確信しながら作ったこの新発明を、こんなにも早く使う日がこようとは。
 ガオンは腰の細剣を抜く。

 剣では無理だな。

 刹那で判断し、彼は剣で椅子の背もたれを斬り上げた。
 宙に舞う椅子の半身に『ゾロリンボール改』が当たり、衝撃音と共に木屑が舞う。一撃粉砕。まともに剣で受けていれば、剣が壊れてなんらかのダメージを食らったことだろう。
 ガオンは着地と同時に床を蹴り、ゾロリに向かって駆け出す。
 迫り来る刃。
 その攻撃を予想していたゾロリは、『ゾロリンボール改』を引き寄せるが間に合わない。
 近くにあったソファーを蹴りガオンの方へ飛ばす。
 しかし王子はそれを軽々両断しつつ速度を緩めないで向かってくる。
 間合いに入る直前、キツネは後ろに隠していた鉄の棒を突如振り上げた。細剣の切っ先を逸らして致命傷を避ける。ソファーは目晦まし。ガオンが気をとられている一瞬の隙をついて、部屋の隅に転がっていた鉄棒を持って用意していたのだ。
 渾身の一撃を避けられたガオンは、そのままゾロリに体当たりをするが、キツネはそれを軽やかにかわして彼の後ろを陣取る。
 ゾロリは上から棒を振り下ろした。
 ガオンは手首を返して、細剣でそれを受け止める。
 刃を滑る鉄棒。
 棒の三分の一程が斬れたものの、柄にあたってそれ以上は動かなくなる。そこにゾロリは上から全身の体重をかけた。ギチギチと金属の不気味な音。
 しかし、なかなかオオカミは折れない。
 ……見開かれた青い目。憎悪で暗く煌く。完全に王子が切れたときに見せる表情だ、とゾロリは思ってさらに怒りが込み上げる。

 怒っているのはこっちの方だぁぁ!

「……一緒に殺してやる」
「やれるものならやってみやがれ!」

ガオンは全身の力を振り絞ってゾロリを棒の一撃ごと宙へ弾き飛ばした。


 *****


 郊外にあるはずの二人の家から勃発した喧嘩は、何故か城下町まで深刻な影響が及び、国家存亡の危機と勘違いをした騎士団の者が止めに入って、なんとか死者・怪我人を出す前に収まった…………のだが。
「ガオン王子、いったいこれは何ですかっ!」
「何があったのです、ゾロリさん」
「せんせ、せんせ、大丈夫だか?
 何があっただよー」
「せんせとガオンが仲悪いとオラ悲しいだぁ……」
『え―――………………っと』
喧嘩を止められて正気に戻った二人は始めは口篭ったものの、問い詰める大勢の勢いに負けて、ぼそぼそとことの発端を語り出した。

 場が、壮絶な沈黙で凍った。

 ゾロリとガオンは、苦笑いと愛想笑いと作り笑いの全てを足して混ぜ合わせたような微妙な表情を浮べて、まあまあと手を振って誤魔化そうとする。沈黙の続く時間に比例して、彼らの冷や汗の量はウナギのぼりに増えた。
 人々の後ろには広がる崩壊した茜色の街。
 そして、まだなお煙や破壊音が聞こえてくる。
 喧嘩の原因を知った街の人と騎士団の団員たちは、顔を見合わせて小さく頷く。ただそれだけの仕草で、自分達の心が一つであることを悟った。分かり合えた。
 各々戻していた刀の柄を手に取り、また、防火用のホースを構え、さらに、イシシとノシシはゾロリンボール(小)を構える。
「……あ、あの、まあ……ゴメンナサイ……」
と、王子か、怪盗か、どちらかが小さく呟いた。
 誰も聞いていなかった。
 しかし、その言葉は十分な切っ掛けになった。

『一遍反省してこぉぉぉぉ―――いっっ!』

青筋を立てた騎士団&街の人&イシシとノシシは武器を持って二人を追いかけ始め、予想していた二人はマントを翻して逃げだす。街の崩壊はさらに深刻化し、結局最後にはシンシア女王の見事な罠に捕まり、怒りに燃えた人々は心行くまで重大犯罪者どもをボコったのである。




MAIN  ・ BACK  ・ NEXT