[ [ [ 風邪をひきました 2 ] ] ]
一口、一口。
ゆっくりとロジャーは箸を口に運び、時折、ゾロリに視線を寄越した。夕食は昼の白粥と違って、卵粥。結局あの後、粥を食べて、薬を飲んでロジャーは、寝台でまどろんでいるうちに深い眠りについてしまった。そういえば最近は残業が続いていたし、彼を悩ませる事件も多かった。ゾロリが夕飯を持ってくるまで彼は一度も目を覚まさなかったのだ。
ゾロリは寝室の隅にある椅子に反対に腰掛けて、遠巻きに病人を見ていた。椅子の背に顎を乗せ、ゆらゆらと不安定に椅子を揺らす。ロジャーの視線とかち合うと、直ぐに目を背けてしまった。
ゾロリは、後悔していたのだ。
帰るなり怒ってしまったことに。
一緒に暮らしていればわかるが、ロジャーはエージェントの中でも重要な地位にいるらしく、休日だって殆ど休みがとれない。たとえ休暇をとったとしても、直ぐに呼び出されて魔法の国の危機のために仕事をする。残業は月の半分は当たり前。その上、朝早くから行かなければならないこともしばしばだ。
疲れていて、当然なのだ。
自分は、その兆候をもっと早く気づいてやるべきだった。それも見抜けず、たんに映画に行きたくて行きたくて、つい感情のままに怒鳴ってしまったなんて―――。
聞いてやればよかった……。
倍以上の時間をかけてロジャーは食べ終わり、盆の隅にあった薬を飲む。
「……ご馳走様でした」
「はいはい。
じゃ、寝ろよ。まあ最近忙しかったんだから疲れが溜ってたんだろ」
病人の膝から盆を持ち上げてゾロリは軽く言い捨てる。獅子は苦笑いを浮べて、そうします、と小さく答えた。
布団に入り込み、目を瞑る。
部屋から出ようとしてたゾロリは、ふと足を止めて、振り返った。
彫の深い、整った顔立ちに、長い睫。落ち着いた呼吸と共にゆっくりと上下する。
……三歳年下だというのに、常識的で理性的で、部を弁えて『正しい』ことばかりする。遊びのない、よく言えば、真面目な奴だ。
ゾロリとて、時折自分のほうが子供っぽすぎることをしている、という自覚はある。真っ向から正論を言ってくるのが腹が立つのだ。とにかく生意気なのだ。
俺様の方が年上なんだよ。
と、心の中で小さく呟いて。
さっきまでゾロリが座っていた椅子とセットのサイドテーブルに盆を置き、回れ右。
寝台の傍で膝を折り、病人の額にそっと手を置いた。丸い指先で、彼の前髪を軽くかきあげる。気配でわかっていたのだろう、病人はゆっくりと目を開いて静かに見上げてきた。
「……さっきは、怒って悪かった」
「ええまあ。包丁は」
「違ぇよ。
それは俺様は悪くないぞ」
貴方らしいとロジャーは苦笑する。
自分なら絶対に出来ないことだ。包丁を持って二択を迫るなんて。
「遅刻するのは、仕方ないし、俺様だってする時はするし。
そ、それにさ。
お前と違って心が広いからな。遅刻くらいそんないちいち気にしねえのよ。
だから、その―――ええと、怒り出して、悪かった」
言いながらゾロリは指をロジャーの頬の上でぐりぐりと回す。照れ隠しなのだが、少々力が強い。ぅう……と苦しげに呻く男の声を完全に聞こえないまま、まるで不審者のようにきょときょとと目線を動かしていた。
「映画一緒に行くのが、凄く楽しみだったんだ。だから、つい。
……本当に、悪かった。すまん」
だが、思いつく限りの言葉は直ぐになくなってしまう。謝るのは、苦手だ。最終的にゾロリは黙って、だが酷く恥ずかしくなって、無理矢理の笑みを浮かべた。
その目の前で、みるみるうちにロジャーの顔が変化していく。
いきなり、恋人の手を払って布団に素早くもぐりこむ。頭をすっぽり隠してまるで団子虫。
「ちょ、そんなに拗ねることねえだろっ。
一応俺様だって謝ってるんだからよっ!」
ゾロリは慌ててその塊をぐいぐいと押してみるが、ぴくりとも動かない。布団とは思えない固さだ。引っぺがそうにも、掛け布団と敷布団の間はびちっと塞がっていて、まるで要塞扉を思わせるような密閉度。なんとこの病人はわざわざ魔法まで使って引き篭もってしまったらしい。力技では叶わないと悟ったゾロリは、懐柔策に出た。
「……あー、わかったからさ。
なんか好きなもの作ってやるから機嫌直せよ。なぁ? これからは気をつけるからよー。
ほれ、何が欲しいか言ってみろ。
な?」
布団の端から、ぴょこんと彼の尻尾だけが現れる。
ふさふさの毛玉のついた茶色の尻尾。
それが、ゾロリの顔の前でふるふると横に振られる。
―――NO、というジェスチャー。
あれ? これじゃ駄目とは手厳しいなぁとキツネは顎に手を当てて小首を傾げる。ロジャーは大概これで折れるのが常だ。
「駄目かぁ? じゃあ、ええと、今度何か事件起きたら手伝ってやるからよ。それともあれか、俺様特製の料理が食べたいとか―――」
ぱたぱたぱたぱた―――と、さっきよりも一層強く振られる。
ゾロリの眉間に皺が寄った。
「……まさかお前、謝罪は土下座以外と認めないとかどっかの国の心の狭い王子みたいなことを言うんじゃないだろうな、お前」
ばたばたばたばた―――再三、強い否定反応。
彼の心の裏が読めずにゾロリが困惑していると、ようやく、天岩戸が僅かに開いた。隙間から見れるのは、ロジャーの大きな紫色の瞳。頭に半分掛け布団を被り、ゾロリを上目遣いで見つめるらしい。
「……違うんです」
「ん?」
「俺、病気ではないんです。熱だって、ないですし。今計ってみましたけど―――平熱です」
言葉と同時に、おずおずと布団から温度計が差し出される。
三十六度一分。
―――見事に、平熱だ。
ゴロゴロゴロゴロがらがらピッシャァァァン。
キツネの脳内で落ちる雷……のような衝撃。
「だ、だって昼は確かに―――」
「あの時は、遅刻していたから、焦って、箒で全力疾走した後だったので。汗は、家に入る前に、魔法で消していたんです」
言い難そうに口篭りながら、ロジャーは訥々と懺悔を続けた。
だったら早く言えよっ、と思ったが、その言葉を呑み込む。さっきまでの自分には、多分、彼がこういったとしても聞き入れる余裕はなかった……と思う。完全に浮き足立っていて、看病以外頭が回っていなかった。
言い出せなかった罪悪感に押し潰されそうな年下の恋人は、怯えた目でじっとゾロリを見つめていた。
自白した罪人が刑の宣告を待つように、何かに必死に縋るような瞳で、ただ只管待っていた。
普段が高慢で生意気なだけにその自信のない顔は、ちくちくとゾロリの胸をつつく。
実はちょっぴり映画が行けなくなってしまったことが腹立たしくもあったのだが、ああ言ってしまった手前、注意をするのは出来そうにない。それにまあ、映画は本当は一人で行くことが出来るのだが、それでも拘っているのは、二人で行けなかったからだ。ならば、日を改めればいいだけのこと。
「……そうか。ま、お前が休めたんだから、いいってことよ」
色々と長い思考を辿って、ゾロリは重々しくそういった。
許された罪人は、首を竦めて、弱弱しい声。
「……すみません」
「でもさ、その、全力疾走したんだったらそれでいいじゃねえか。何で消すんだよ。
汗とか呼吸とか魔法で消されちまったら、いくら凄い俺様だって勘違いしちまうだろー。なあ?」
一生懸命体裁を繕うと、ゾロリは腕を組みながら詰る。
ロジャーはすみませんと繰り返した。
―――言い終わってから、ゾロリは当然の疑問が浮かんだ。
「……ていうか。
なんで、わざわざ消したんだ?」
遅刻していたから全力で箒で飛んできたというのは、理解できる。彼ほどの使い手が急いだのだから相当早かったに違いない。
しかし、一生懸命飛んだのならば、そのまま汗がかいていようが息が荒かろうがかまわないではないか。
ゾロリの疑問が解けるよりも早く、ロジャーは再び布団の中に潜りこんでしまう。それに気づかず、ゾロリは彼の行動と発言を一から思い起こして記憶を再構成していた。
そういやこいつ、なんで布団に潜ったんだ? 顔が見せられない、ってことか。俺様の謝罪に……あれ? 顔が見せられないってことないんじゃないか? ええと、他に何言ったっけ。たしか、悪かった……で……それから……映画一緒に行くのが、凄く楽しみだった…………とか…………
布団の中で、ロジャーは震えていた。顔が、自分でも分かるほどに熱い。今ならきっと三十八度を越えている自信がある。目を開き、ぎゅっとシーツを握り締める。ミサイルだって弾き飛ばす防御の魔法を三重にもかけた。なのに、まだ怖い。
「……あーあ。
ったく、本当にお前は見栄っ張りで、意固地で、生意気なお子様だねぇ」
苦笑交じりの声が、聞こえてきた。
嗚呼、どうして彼にはわかってしまうのだろう。見透かされてしまうのだろう―――と混乱するこの気持ちすら向こうにバレてしまったのかと思わせる程タイミングよく、ゾロリはロジャーの肩を優しく撫で始めた。三重の防御と布団を飛び越えて、何故だか彼の体温が伝わってくるようだ。
「俺様と一緒に行くのをすっごく心待ちにしてること。
それをバレるのが、どうしてそんなにも恥ずかしいのかねぇ?」
ロジャーはきつく目を閉じ、唇を噛む。
もう、あっちへ行ってくれ。頼むから行ってくれ! と胸中叫びながら。むしろ哀願に近い気持ちで。
しかしその気持ちすら察して、ゾロリはそのまま優しく撫で続ける。さあどうやってからかってやろうかなぁと考えつつ、また、どうやってあやしてやろうと思いながら。十分もいらないだろうとキツネは予想を立ていた。そして、彼の予想通り、魔法使いは自らその扉を開くことになる。
魔法で作り上げた鉄壁も、彼の前でただの玩具なのだ。
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