[ [ [ あ、あのさ。今から謝ったら止めてくれる? ] ] ]
太い硝子の筒に細い針が接続された世界最凶の器具、注射。
その悪魔が開発したとも思える邪悪な形状を思い浮かべるだけで、ゾロリは思わず総毛立つ。
だから病院は嫌いだ。病院だけは絶対行かない。何があっても行くもんか。……と、そう決めていた。
―――が、毒キノコにあたって緊急入院した。
ガオンはほとんど食べなかったの一日で退院許可がでたのだが、一個丸まる食べたゾロリは動くことすら叶わないほどの重態になってしまった。毒キノコのくせに味がなかなか良かったのが問題だった。イシシとノシシが持ってきた時点でいろいろ危ないとか考えるべきではあったのだが、あまりの美味さに危険性を見過ごしてしまった。
「まさかのドクドクダケを食べる方がいるとは……まあ生きていてよかったのですが」
「ねえ。驚きましたわ」
「しばらくは栄養摂取が出来ませんな」
医師が看護婦とぼそぼそと会話しているのが聞こえる。ゾロリの霧がかった頭は、その時、僅かに晴れた。ぴょこぴょこと、まず特徴的な耳が動く。
掠れた視界が、意識が明確になるに比例して鮮明になっていく。
そして、見た。
白衣の犬医師の手の中には、太い注射器があるのを。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――ぁっ!」

医師と看護婦はありえない光景を目撃した。動けるはずの無い患者が悲鳴を上げて寝台で跳ね上がり、しかもいきなり部屋の隅まで逃げ出したのである。そもそも、今まで寝ていると思っていた患者が起きていたというだけでも驚きだし、さらにこの重態でこんな動きができるなんて信じられない。黒い台所に発生する生き物並の異常な速度だ。
運悪く、丁度汗をかいた寝巻きを着替えさせている途中だった。ゆるく着付けていた浴衣が脱皮した皮のように寝台に残されている。
「い、嫌だっ! 注射だけは嫌だぁぁぁぁ」
ぱたぱたと尻尾が凄い速さで振られている。
真っ裸の患者は、頭を抱えて縮こまってしまった。
「……いやあんた、どうして動けるの」
患者の患者とは思えないあまりに元気な様子に、場違いにも、思わず医師は地の声つっこんでしまう。
「あ、あの……ゾロリさん。ええと……?」
医師よりも早く正気に戻った看護婦が、そっと声をかけた。女性の声には耳ざといゾロリは、本能的に振り向く。だがやはり注射は怖くて、四つん這い状態で首をまわしただけだった。
耳はぴくんぴくんと間断的に跳ねて彼の恐怖を物語っている。
全身は瘧のようにプルプルと震え、目じりには涙が溢れて顔色は真っ青だ。
一種の嗜虐心を擽る様な光景に、一瞬医師たちは暗い欲望が刺激されてしまう。思わず、体が動かない。ゾロリは自分のことに手一杯で今の状況を考えることはできなかった。奇妙に止まった時間が流れた。
しかし、病室の中の音は部屋の外まで聞こえていた。
ばんっ、と鋭い音と共に―――
「ゾロリっ。起きたのか!?」
全ての緊迫を打ち破る声が闖入してきた。
声の主―――勿論、ガオン―――は、まず寝台を見る。次に医師と看護婦を見て、最後に部屋の隅にいる彼を見つける。
一瞬状況が理解できず、何度も目を瞬いた。
昨日まで死んだように眠っていた恋人が、元気一杯に泣きながら獣のような姿勢で尻尾を振っていたのだから、困惑することも無理はない。
「ええと……注射がお嫌いみたいで」
医師は、ようやく、その一言が言えた。
ああ、と呟いてガオンはその言葉で全てを理解する。
ゾロリの注射嫌いは双子のイノシシたちから聞いていた。なんでも魔法の国では、骨折したのに病院にはいりたくないともめたらしい。一体どんなに嫌いなんだ、とも思わなくもない。
にこり、と一般人相手用の笑みを浮かべてガオンは手を差し出して言った。
「それはお手数をおかけしました。
では、私が代わりましょう。顔見知りですから、彼も安心するでしょうし。
ああ、きちんと医師免許もありますますのでご安心下さい」
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