[ [ [  I have known you for a long time.  2  ] ] ]


 腕と背中にある長い羽を僅かに振動させた。
 ロジャーは気づかない。魔法の国で流れている時間と空間とを強制的に切り離し、妖精の国のそれに置換する、高度魔法だ。妖精が魔法使いと同じ様な魔法を使えるなど、彼は知りも知らないだろう。
 それを使って、魔法の国に体を『置いたまま』、精神を妖精の国へ『連れて行く』。
 ダポンと自分の精神だけ連れて行っても、ロジャーには気づかれない。
 周囲が青く霞がかり、芳しい香りのする清浄な湖の上。そこにぼんやりと浮かんでいた。
 状況が突如変化して、ダポンは驚いたように首を回す。
「……ダポンさん。
 落ちませんから、ご安心下さい」
「えっ。はぁ」
間の抜けた返事をしてから、やはり浮いているのが不思議なのだろう、下ばかり覗いている。ダポンからは妖精が見えないことを奇貨として、青色のナジョーがふわふわと傍に近寄ってきた。
 睨むが、イタズラ好きの彼は飄々と飛び回る。他のナジョーたちも遠巻きだが確実に近寄ろうとしている。全く……彼らの好奇心を抑えるのはなかなか難しい……。
 青色はダポンの尻尾に触れた。
 ダポンは何かを感じ取って振り向く。
 刹那。
 響く金切り声。
 度肝を抜かれたナジョーたちは一気に逃げ出した。
「何かありましたか?」
……声も聞こえないはずなのに。
 私の気の変化を察したか、ダポンは軽く尋ねる。勘が良すぎる。
「いいえ。
 で、何処まで、読むことが出来ましたか?」
「……書かれていることはおおまかに」
「ではお話して下さい」
タヌキは滔々と一章からの内容を語り出した。
 青色が戻ってきて後ろから囁いてきた。

 ―――あまりにも、痛いよ……―――
 ―――だから、記憶は見るなといったでしょうが―――
 ―――酷いよ……どうしてあの子なんだ……。頑張ってきた子じゃないか……あの優しい子が、どうして……酷いよ、酷いよ―――

 そういえば、そうか、青色は森へ良く遊びに行っていたから、以前から見ていたのか。
 時雨のように柔らかに降り注ぐ泣き声。その中でまるで人形のような目をした男が命令されたとおり語り続ける。その周りを寂しそうに飛び回る。
「……そして、最後の章。妖精暦の1900から1920。その間に三度、『戦』と称される事件がある。その度に妖精の側が大量に死んだとだけはある。そして最後の戦をきっかけに、魔法の国と妖精とは完全に隔離される。
 多分1920というのは、魔法の国で言う建国0020にあたると思われます。ただこのあたりの歴史は1が一年とか定かではないからわからないので完全に一致しているかは推測です。
 以上です」
「ありがとうございます。
 少ない資料でしたのによくそこまでわかりましたね」
「ええ、まあ。
 建国期の文献が残っているのは我が家だけですよ。もう当主ではないので、場所はわかりませんが。
 それに、三度目から経った五十年もしない間に、魔法の国から妖精の存在を知る人がいなくなったので」
五十年。随分正確な数字を出したものだ。―――まあ、正解だけど。
「何故それを?」
「四代目の記録から、突然妖精の記述が消えたらそう考えるのが妥当でしょう。
 初代の記録を読んだときは妖精なんて、あり来たりな作り話の伝説だとばかり思っていましたが。まさか実在するとは」
「貴方がたの一族は、本当に抜け目の無い」
ふわりふわりとタヌキの傍まで近寄ってみた。
 顔の前まできて、その頬をそっと撫でる。
 温かい、と体温を感じてそっと呟く。対してダポンはその冷たさに身をぎくりと強張らせていた。

 懐かしい顔。彼を思わせる―――
 
「では。
 何故、妖精と魔法使いが戦になったのか。その理由は?」
「……冒頭に、書いてあるじゃないですか」

 愛しき子供たち
 だが恐ろしき子供たちよ―――

 超古語の発音でダポンが紡ぐ二行。
 たどたどしいが懐かしい音だ。妖精ですらこの言葉を使う者は少ない。
「随分前に思いついた仮定ですけどね。
 何故魔法使いは魔法を使えるのか。
 それが遺伝的要素なのは間違いないんです。高等な魔法使い同士の子供は間違いなく高等な魔法使いになる。高等と低級の子供は、低級になる。……ですが、低級と低級の親でありながら極稀に高等な魔法使いが生まれる。
 それを採った統計をみていて、思いついた。
 生物の持つ優勢と劣勢の遺伝子要素ではなく、別のベクトルがある。
 そのときは馬鹿らしい仮定でしたよ。ですが、この一文でわかった。
 魔法使いとは、妖精と人の合いの子だ。
 妖精の血の量と、人の血の量と。それが丁度半々の割合であればあるほど、高等な魔法使いが生まれる」
「成る程。
 素敵なお話です」
あはははは、とやたらな朗らかな笑い声を上げる。
「いえいえ。全然素敵じゃない。
 つまり、一番初めに生まれた魔法使いは、妖精が人と交わった一番強い力を持つ。それが子の世代に下がるにつれて、人と交わるにつれて弱くなる。
 妖精と交わらない限り、絶対的に弱くなるんですよ。半々にね。
 ……だから、補充しようとした。妖精の血を。つまり妖精の血こそが最高の魔法薬の材料となってしまった。
 魔法使いたちは『子』でありながら、『親食い』となった」
切れる頭だ。
 可哀想なあの男も、同じように打てば響くような答えばかり出していた。だが一つ彼と全く違うのは、あの男はまるで海のように慈悲深かった。
 少し身を引いて、悲しげに瞬いた。
「どうして本を盗んでも、皆が放っておいたか、お話致します。
 ―――貴方がたの記録から消された者がいますね」
「三代目、ですね。
 ……四代目の功績として塗り替えられていますが、様々な魔法薬を開発している」
「素晴らしい方でした、魔法の薬草の原理の真理追究をして様々な薬を生み出していました。森への尊敬の念を忘れずに。本当に愛情深い人柄でした。
 私たちが森の道を塞いで―――そして、再び戻ってきたときには―――遅かった。あの人は様々な罪名を着せられて、牢獄の中で虐待を受けて死んでいました。
 どうしても……助けたかった。
 この世界で生きるように説得したのに」
三十代も前の祖先の知人の思い出語りをいったいどう聞けばよいのかわからないのだろう、ふてぶてしい若人とりあえず黙りこくっていた。どうやら祖先をべた褒めにされて居心地の悪いのか、こっそり目を逸らしている。
「まあ、多分、魔法使いの裁判沙汰で死んだとは予想がついていたんですけれど……。丁度三度目の戦の頃に四代目が襲名している」
「妖精が魔法薬の材料になった、という点はお見事な洞察力です。
 魔法使いたちは妖精狩りに精を出し、捕まった妖精は己の国から離れれば力を失って死に、それを多くの薬剤師が薬に変えました。
 ですが、ダポンさんだけは、それをしなかった。
 魔法の森に生息する私たちを、あの人は尊敬すべきものと考えていた。
 あらん限りの知恵でお金を稼いで、それを全て妖精を買うことに力を注いだ。遺体を買って、全て魔法の森に埋葬したのです。彼にとっては単なる敬意を表した行為だったようですが。私たちは大地に入れば、蘇ることが出来ます。かく言う私も、そうして助かったんですよ。
 妖精不足に悩んだ魔法使いたちは最後の戦を仕掛けた。
 ―――戦、というより、向こうの方の言葉を使えば狩りですね。
 その数日前に、私は、ダポンさんにお礼を言いに言ったんです。その時初めて彼は生きている妖精を見たそうです。……魔法使いではないから、私たちがちゃんと身体を作らないと見えないから。
 彼は何故魔法使いを退治しないのかと尋ねました。
 私がその時言ったのが、貴方の今おっしゃった二文ですよ。
 ―――彼はそれを聞いて、何をしたと思います?」
「そりゃ第三回の戦を妨害したんでしょ」
妖精は首を横に振る。
 ああ、それだけだったら、どんなに良かったことか。
 それだけならあの人を助けられたというのに。

「それだけではありません。
 あの人が、妖精の世界と魔法使いの世界を切り分けた。
 魔法の森という特殊な場を使って。魔法使いでも妖精でもないのに。
 私たちは子を見守ることが出来て、でも子がこちらへ来れないようにするこの方法を」

「そりゃ殺されるわ」
とダポンは素っ気無い。
 切り離した所為でまた来るのに時間がかかってしまった。そのときの悔しさは今でも胸の奥に澱のように残っていて、時折懐かしくも悔しい記憶として彼女の中で蘇る。硝子一枚隔てた世界で恩人が殺されていく一部始終を見守っていた。
「笑っていた。……多分、見ていることを、気づいていたのですね。親馬鹿は仕方が無い、と。子供を、いつまでも見ていたいものだ。愛しいのは仕方ない。だってしょうがない。愛しいんだから。
 ですから、私たちはその大恩がある。
 魔法の森で、幾人も貴方の先祖が訪れました。その全ての人たちを見守ってきました。もちろん、貴方も。それが、私たちが貴方に手を出さなかった理由です」
「そうですか。
 その人と私は丸っきり違うことだけは間違いないみたいですね。でもまあ、助かったといえばそうなる。利用させていただきますよその大恩とやら。縁もゆかりもない祖先の作った借りですが、使える物は何でも使う主義なので」
やるなといったばかりなのに、青色のナジョーはその頬を触れて何度も記憶を共有している。そしてぼろぼろと大粒の涙を零し、それが泉に零れ落ちて輪を作る。
 本当は、違う筈はないのだけれども。
 その血を脈々と継いでいるのだけれども。
 そう言ったら、きっとまた貴方は傷ついてしまうと思う。
 タヌキは良くも悪くもない無色透明の笑みを浮かべていた。それがただの仮面であるとこの世界では簡単に見えてしまう。だってほら、この人の精神体はこんなにも薄い。生きている者とは思えない儚さ。
「……ですので」
表情は変えず、だが、ダポンは喉の奥からから搾り出すような声で低く呟いた。
 青年の心音が上がり、精神の安定が崩れていくのにつられて姿はさらに薄く境が曖昧になる。青色は絶望的な表情でその様子を見つめていた。酷い、酷いとしゃくり上げながら誰に対してもなく憤る。噛み締める奥歯の音が、その激情を物語る。
「どうか、十年……待って、頂け……ませんか」
笑顔で、途切れ途切れに、言う。苦しそうな呼吸に変わっていた。
 はぅ、はっ、くぅ、と繰り返される過呼吸。胸に手をつき、今にも倒れそうな悪い顔色をして、必死に顔をあげている。
 泣ければ、きっと少しは楽になるというのに。
 ゾロリさんが言うように、まだ彼は涙を取り戻せないでいる。
 彼の混乱が直接的に伝わってくる。混乱、というより困惑か。何故自分がこんなにも狼狽し、倒れそうなほど心臓の動悸が早くなり、血が巡り、喉が乾き、震えが起きるのか。平静を失いそうになっているのか。

 可哀想に。私たちは知っているというのに。
 目的だけ覚えていて、その大切な理由を忘れてしまうなんて。
 目的のためだけに必死に歩き続けて、歩き続けて、壊れても足を進めて。一歩も休まずに来たというのに。
 悲劇なんて安直な言葉がこれ以上似合う男もそうはいない。
 それも、最悪な。哀れすぎ面白くもない出来損ないの悲劇なんて。

 体の境界はぶれて、薄くて、濃くて、安定する時は一時もない。手が消え、足が消え、目が失われて、また現れて。胸の服をきつく握り締めて、壊れた笑顔でどうかお願いしますとまるで九官鳥のように繰り返す。
「十年、待つのですね?」
近寄って、囁いた。
 それを切っ掛けにか、タヌキの感情の質が激変した。
 青色のナジョーの切なくか細い悲鳴。
 濁った瞳で真っ直ぐに見据えてきた。
 何を思い出しているのか、青色はその顔を激しく叩いている。止めろ止めろと叩いて泣き叫ぶ。どんな陰惨な記憶と繋がっているのか。この表情からは読めない。
「代価は、何でも払います。
 出来ることなら、何でも。一切洩らしません。絶対です。絶対に、ですから。何をすれば良いですか。どうすれば、どんな代償があれば、待っていただけますか。どうか、どうか、どうかどうか」
堰を切ったようにあふれる言葉を遮って、優しく問いかけた。
「……どうして、待って欲しいんですか?」
 これで思い出せたら良い、と思わないでもないが。

「今、魔法の学校で、授業を。
 それが、判決で。約束でっ、だから、どうしても―――」

……やはりそう都合よく奇跡は起きないようだ。
 本当はそんな理由じゃない。貴方が必死で生きようとしているのは。長い時を経て、ようやく、目的に辿り着いたからだ。理由は忘れても目的は忘れなかった。諦めて見失ってしまったけれども。それでも、やっとのこと叶った。
 言ったでしょう。
 昔から知っているんですよ。

 あの大きな木に、貴方が泣きながら必死で祈ったことも。

 学校へ帰りたいと、喉が嗄れるまで泣いていたことも。

「良かったですね。
 帰り道を、見つけられて」


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