[ [ [  I think it is so hard.  1  ] ] ]


 「―――御無沙汰しております」
扉を開くと、既にそこには人が居て、ぺこりと頭を下げた。入ってきた初老の男は眉間の皺を深めて睨んだものの、何も言わずに決められた席へ向かって腰を下ろす。
「手紙一枚で呼び寄せるとは、随分偉くなったもんだな」
と、第一声から不機嫌さを物語る。
 だが投げつけられた相手は平然としたものだ。
「申し訳御座いません。
 代理人ではどうしても無理だったので。
 ……大変お世話になった貴方にしか話せないのです」
お世話になった、か。
 当然だと初老の男は鼻で笑う。
 お前なんぞに目をかけてやったのだから、感謝されて当然、否、もっとされるべきだと彼は思っていた。医学会では名の知れた大病院の理事長職につき、医学界そのものを揺るがす権力を持つ。そんな大人物がダポンと知り合いだったのは、まあ、色々あったからだ。
 確かに、一時特に目をかけてもらっていた。
 ―――それは、彼の主催する会に『出席』するという条件があったのだけれども。
 ただ、ダポン薬局の経営の危機的状況を救ったのはこの男のお陰であることは間違いがなかった。
 硝子一枚で区切られ、それを挟んで二つの椅子。監獄の面会室。殺風景という言葉がこれほど似合う場所もそうはない。
 男を待っている間、ダポンは入ってくるなり部屋の隅々まで観察した。壁は白く、魔法防御の薬が厚く塗られている。防音対策も十分。どの壁を叩いても不自然な点はない。
 彼がこの部屋に来るのは初めてだった。
 別に訪れる者が居なかったからではない。むしろ、魔法の森を封印し、ソースを気球で飛ばし、街を半崩壊させて裁判待ちの容疑者に面会を申し込む者は親戚・知人だけではなくマスコミやら名も知らぬ一般人やら非常に多かったのだが、ダポンは一切断ったのだ。
 だが、彼だけは、手紙を送って特別に呼び寄せたのである。
 基本的に何もない。が、部屋の片隅にかけられた時計の秒針がコチコチと独特な音で時を刻んでいる。文字盤は大きく、分単位まで読める。どこかで見たことのある時計だ、とタヌキは思った。どうでも良い話ではあったが。
「で?」
相手が別のことを考えると気づいて、男は、苛つきを隠さず詰問口調で尋ねる。
「ええ。
 一応手紙に書いた通りなのですが、御仁にお渡ししたいものがありまして。
 こちらが新薬の研究中の資料を安置している部屋です。私しか使っていないから従業員誰も知らなくて。鍵は部屋の……と、これは書いてあるから言わない方が良いでしょうね。
 貴方ならば的確な方に情報を渡せるのではないかと」
新薬の研究資料。
 経営破綻が秒読みの己の会社に置くよりも、医学界を通じて良い人に渡して欲しいとダポンは手紙に書いた。
 それはつまり、価値として数億を下らない権利を丸々渡すということを意味する。
 この男の作り出す新薬は、普通じゃない。
 被疑者が白い封筒を取り出すと、初老の男は途端に表情を崩した。その手紙が生み出す利益を思うと気持ちが良くなるのを抑えられない。現金な精神。
 すぐに差し出すかと思えば、勿体ぶるように、青年は封筒を己の手の中で弄ぶ。ちらりと上目遣いをして、彼を見上げてきた。
「そういえば、大学病院のほうで噂になっているらしいですね。あの骨折薬。簡単なのになぁ」
ゾロリに使った薬。
 大学病院ではその内容解析に必死になっていることを知って、あえての発言であることは男にも理解できた。その一つだけでも十分な利益を齎すことを強調するためだ。
 普通ならば、LV1の魔法すら使えない無能力者がこんな風に言えば面白くはない。不機嫌になるか、または怒鳴りだすか。ダポンは試していた。男の反応を。
 ダポンは、幼い頃から不思議と狩が上手かった。五歳になる前の子供が雁を数羽連れて帰ったとき、父も流石に舌を巻いた。七歳になる頃からは、狩りの対象は動物ではなくなった。
 狩りの前に、作戦をくみ上げるのが好きだった。百の可能性を考え、千の手をくみ上げ、そして選びに選び抜かれた作戦を選び取る。出来る限りの準備を行い、そして、ただ只管待つ。
 獲物が運良く罠の傍まで来たからといって、それで終りではない。始まりだ。
 獲物が罠に気づけば、勿論直ぐに中止だ。
 気づかなくても、不自然な行動が出れば中止。
 中止か続行か。
 その一手一手を迅速に判断しながら積上げていく。
 男は、目じりを下げながら幾度も首を縦に振るばかりで、不機嫌さを増した素振りはない。どころか。
「わかってるわ。
 お前の処分は、なんとかなるよう我々からも配慮しておこう。
 医学界でも裁判の動向を気にしている者は少なくない」
「御仁にそう言って頂けるなんて」
口約束だろ、どうせ。
 タヌキは内心こっそり笑う。
 どうやら、彼の前にぶら下げた餌は十分効いている。呼び出された不機嫌さすらも、もう完全に消え去ってしまっている。
 続行だ。
「……ただ私の研究資料は、どうか、私からだと漏れないようにお願い致します。
 なかなか叔父上や叔母上の会社にバレるとしがらみがあって大変なんですよ。一族の規則、煩くて」
わかってる、わかってるから。
 利に聡いのか金に溺れ易いのか。この男の性質の見極めが今回の狩りの肝だ。しかし、どうやら彼は俗人的性格の方らしい。ならば続行で問題はない。
 高さ二センチほどの空いている隙間から手紙を差し入れると、男はそれを奪い取る様にとって、封を開く。
 数枚の紙。
 それを広げて、目を通す。
 綺麗な文字で書かれている内容はタヌキが説明したとおりのことだった。
 満足げな表情をして、それを封筒に元に戻す。ゆっくりと。
 顔を上げれば、タヌキはにこりと笑って手招きしている。
「……もう一つ、御仁に是非お願いしたいことがありまして。
 これは、手紙に書くのも危険でしたので、そこに書くわけにもいかなくて。ですからわざわざ足を運ばせてしまったのです。
 ―――監獄の面会室ならば、対魔法防御も完璧ですし、この中では一切の魔力が制限される。盗聴の心配もありません」
「なんだ?」
「我が一族がらみなの話しなので、どれだけ安全を期しても不安で」
ダポンは体を乗り出す。硝子に空いた直径五センチの会話用の穴へ顔を近づけた。
 小声で良いですか、一応。
 と、囁く。
 魔法用以外の盗聴器の可能性もあるからだ、と男は判断した。言われるがままに動いた。すっかり気をよくしていた。それどころか、彼は、御目出度い空想を抱いていた。このタヌキは自分に大変感謝をしている。その礼をしたくてたまらない。だから、利権を全て寄越すつもりなのだ。間違いない。
 聞きやすい様にそこにぴたりと耳をつける。
 ダポンの言う『お願い』とやらを待った。金になる言葉を。期待を膨らませて。
 すっかり勘違いした愚かな男。
 続行。
 と、その二文字を心中呟く。
 ―――そして、薬剤師は、予定通りにその丸い耳の中へ溜めていた唾を器用に吐きいれた。


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