[ [ [ I think it is so hard. 2 ] ] ]
全身に悪寒が走った。
異物が耳に入り込む、喩えようのない気色の悪さ。一瞬で総毛立つ。
反射的に耳を塞ぎ、椅子を倒しながら振り返った。青年はいつもの笑みを浮かべていた。
「それ、直ぐ孵化するんですよ」
ダポンの言葉の途中で、激痛が走る。
突然の出来事に嫌悪と驚きで声を上げた。耳に指を無理やり差し込んでも血がぬめるだけで奥まで入らない。何かがもぞもぞと奥へ入り込んでいくことだけは分かる。
一瞬正体を失いかけたが、男は速やかに印を組み、排出の呪文を唱えた。
これでも、医学の一端を担う者。それなりに医学に通じている。
しかし彼の組上げる魔法は一瞬はきらめいたものの、次から次へと消え去った。その事態を理解するのにほんの数秒―――だが大切な数秒を消費した。
体内に何かが入りこんでしまう。
此処は面会室。中では一切の呪文が無効化されるのだ。
振り返って扉を見た。悲鳴に気づいた誰かが来るに違いない、と僅かな期待。だがそれも一瞬で壊れる。扉は分厚い鋼で、しかも壁も完璧な防音。外には声どころか騒音も一切聞こえない。
醜態を晒しているうちに、不快感、どころか、何かの気配の一切が消え失せてしまった。
「な、何をしたっ!?」
「何を?
ですから、お願いですよ。
素敵な寄生虫でね。神経は嫌いなくせに、内臓が大好き。
もう痛くないでしょう? いつ心臓や脳を食うか分からないんで、ドキドキワクワクするんですよ。早ければ一時間、遅くても腹をすかせて一週間で何か喰います。
繁殖力はないから増やすのは大変で大変で。
でも面白いでしょう」
ぺろりとダポンは舌を伸ばす。先端に、赤い丸い粒を食い破る不気味な蟲。小指の爪程の小さな生き物だ。寄生虫にしては有り得ないほど大きい。自然のものとは思えない。生を受けたばかりのそれは、空気に触れて数秒悶えていたが、体内に潜ることもなく死んでしまう。
男はグロテスクさに声が出ず、パクパクと酸欠の魚のように動かす。
そんな蟲、見たことも聞いたこともない。
「……き、き、貴様っ、裏切るのか!?」
ようやく言えたのは、そんな言葉だった。
ダポンは虫の死骸を丸い指で摘みあげて弄んびながら、興味なさそうに違いますよと答えた。
狩りは終りだ。この蟲を体に入れたらもはや結果は確実。
もう彼は男のほうを見ていなかった。手元の小さな死骸を観察していた。
「お願いって言ってるじゃないですか。
お願いします。
どうか亡くなって頂けないでしょうか。
……そんなに裁判で話されるのが怖いんですか? 馬鹿だなぁ。無駄なことはしない主義なんですよ。
私に盛った毒で死ぬよりもキツイですよ、それ。
まあ手術でも何でもしてみたらいいんじゃないです? 多少気休めになるし」
摘出の呪文が出来ないようにこの部屋を選んで、わざわざ足を運ばせた。しかも監獄で情報局の取調べ中。容易に手を出せない。
全てが仕組まれたとわかったが、怒るよりも今この事態をなんとかする方に必死だった。
なぜなら、相手は大事件を起こして捕まったのだ。自棄になってこの手段に出たとしたら、共に死ぬことになってしまいかねない。道連れは御免だ。
硝子を両手で幾度も強く叩きつけるが、一向に青年は顔を上げない。手の蟲を遊んでいる。
会話用の穴に向かって大声で叫んだ。
「ど、毒なんて、しとらんわっ。お前の親族だろうっ。
さ、裁判はどうにかしてやる。自棄になるな、こんなことをしてもお前にも何の得に―――」
刹那、ダポンは顔を上げると、やたら朗らかに笑った。
「あははは。何を言っているんです。
貴方以外の誰がこんな無駄なことを。
叔父上や叔母上はこういう体に残る馬鹿な毒は使わないんですよ。知りませんでしたか。そうか、毒ならばばれないと思っていたんですねー。ま。あの方々のも見分けるのは簡単なんですけど」
繰言のようにゆっくりと語る。今にも心臓が壊れるのではないかと焦燥する男とはあまりに対照的だ。余裕綽々と言った表情。実際、ダポンは落ち着いていた。
死骸を粉みじんにして皮膚の一部に隠していた粉で毒性を中和しつつ丁寧に隠す。
さて、とぼやいてダポンは席を立った。全ての要件は終わった。どんどんと硝子を叩いているが、一切気にかけない。背を向けて部屋を出ようとする。
青年の思いもかけぬ行動に、男は焦った。ここで逃しては、次に面会できるかどうかわからない。死にたくない。焦慮した男は血走った眼を見開き、悲鳴を上げた。
まるで女性のような金切り声。
あまりに煩くて、うんざりとした表情でダポンは振り返る。
「何が望みなんだっ!? なんでもしてやるっ!」
はあ、と溜息。
「ですから。
いいじゃないですか、死ぬくらい。
だって、死ぬだけじゃないですか。
誰にも出来ることなんですよ。
生きろなんて無理なことを言ってるんじゃない」
淡々と言われて男の顔色が失われる。
青年は本気だ。交渉も何もない。覚悟を決めた馬鹿ほど恐ろしいものはない。
だがここで彼の興味を持たせなければ、死んでしまう。震える喉を無理矢理動かしてなんとか声をだす。
「ど、毒は違うっ。何もしてないっ。だが、部下が、させないようにさせられるっ。お前を守ってやれるぞっ。私なら。だからっ」
「貴方が違ったならば、別の奴を駆除すればいいだけの話でしょ」
虚ろな目が、ぎょろりと動く。
「裁判を受けなければならないんです。でも、大変なんですよ、生きているのは。
……ねえ? そう思いせんか。大変ですよね。本当に。
それに比べて死ぬなんてどんなに簡単なことか。いいですよね。羨ましい。私なんか、無理な命令に正直困っているんですよ。
でもまあ、努力しないと」
ネリーちゃんが納得しないでしょう、といって青年はせせら笑う。
その時。
二人の空間に、居るはずのない第三者の声が闖入した。
「認められんな。解毒の薬はどこにあるんだ? ダポン。
お前のことだから研究しているだろう。
……こんなことを起こして、裁判の延期を申し立てられたいのか?」
汗だくになった男が顔を上げると、硝子の向こう側に一人増えていた。エージェント。タヌキの真後ろに、吊り上った眉毛に、赤紫色の瞳の目を持つ魔法使いがいつの間にか佇んでいる。彼にはその黒いマントに覚えがあった。
「面会中に傍聴は規則違反じゃないのですか?」
やれやれといった表情でダポンが振り向くと、獅子は懐から懐中時計を取り差し出す。
「一分三秒前に面会時間は終了している。
解毒薬はどこだ?」
はぁ、と大きく溜息をついたのは、ダポンだ。
面会の席に戻り、ガラスに顔を近づける。
「穴に口を少し開いて密着させて下さい」
狼狽する男は一瞬止まったものの、直ぐに慌てていわれたとおり動いた。ダポンも同じ様に硝子に顔をつけて、硝子の隙間に舌を通して相手の口内に卵を差しこんだ。
入れ終わると直ぐに体を離し、固まっている男に笑顔で説明する。
「……噛まないで下さいよ。
替えはないんですから。
縄張り意識が強いから、これが一番の特効薬です。相手を排除するまで殺しあう。そういうところも可愛いと思うんだけどな、この蟲」
暢気にぼやく殺人者の前で、男は口にさっきと同じ様に痛みが走った。それがあのグロテスクな生き物が入った痛みだと思うと、血の気が引く。今にも倒れそうな顔色の男に向けるタヌキの目は、冷ややかだ。
「替えはないのか?」
ロジャーは大事な質問を尋ねるが、ダポンは無反応だ。
この監獄に入るときに完全な身体検査をしたし、差し入れの全てにチェックがいっているはずなのに。この男はいとも簡単に危険物を持ち込む。他の毒物がないか、また調べる必要があるかもしれない。
その心情を悟ってか、青年は僅かに肩を竦めた。
「……検査ならばいくらでもどうぞ。ですが、延期は御免願いますよ。
では、面会時間が終っているならばこれで」
言って、タヌキは椅子を下り、何か言い足りなさそうな顔をする二人を置いてさっさと部屋を後にした。
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