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気になる、のだから仕方がない。
ロジャーは家に戻ってから真っ直ぐ自室に入った。普段ならば、同居人の顔を見なければ絶対安心しない彼にとっては珍しい行動だった。つい半刻前、直ぐにでも自分の椅子に座って考え込まなければならないほどの重大事件が勃発し、脳内の九割をそれが占めていた。
書斎の机の上には一通の手紙。それと向かい合ってもはや十分以上の時間が過ぎている。
それは郵便局から料金不足の通知が送られてきたもので、ダポンがいつまで経っても取りに行かなかった手紙だ。そこでロジャーが仕事の帰りに足を伸ばして受け取った。ダポン宛の手紙はいつも勝手に開けている。名目上は囚人の監察官なのだから当然の行為であり、本音は気になるからだ。
送り主がゾロリと見て、彼は郵便局で即座に開いた。郵便局員がちょっと驚いて横目で視線を送っていたが、そんな目を気にしていては魔法の国のエリートにはなれないのである。
……とにかく、まあ、開いてみたのだったが。
『楽しみにしているぜぃ!』
と、でかでかと書かれた紙一枚と、イノシシの手形が二つ。
封筒をひっくり返しても、その紙以外は入っていない。
一通の白い封筒。そして一枚の紙。
内容不明の白い紙。墨で書かれた達筆と下手な字の微妙な境の文字。しかも何かを楽しみにしているとかしていないとか―――
「だぁぁぁ、余計に気になるではないかぁぁっ!」
がすんっ、と右拳で机を叩きつけると痛みで一瞬思考が止まった。
人間、思わぬところで思わぬ力を発揮するものであるとかなんとか思いながら、涙を浮かべつつ魔法を口ずさんでいた。もはや体力回復と痛み止めの魔法は無意識でも出来るくらいに日常的に使っている。涙が零れ落ちる前には痛みはすっかり消えていた。魔法の薬を使うまでもない。
「ふーむ」
少し落ち着きを取り戻した魔法使いは、手紙を持ち上げて前後ろと引っくり返してじっくりと検分する。手の中で弄んで細工がないのか調べてみたが、やはり、その手紙はその紙一枚と切手のない封筒しかなく、良い情報は得られない。この汚い字はゾロリに間違いない。もし字を真似したとしていても、このイノシシたちの手形までは真似できないだろう。
暗い本で囲まれた書斎には、魔法使いならば喉から手が出るくらいに欲しい高級書物がきちっりと詰められており、その前には過去の栄光の証であるトロフィーが埃を被って所狭しと並べられている。掃除は好き方だが、トロフィーは硝子製の細かな細工のためそう簡単には出来ないのだ。
その鈍い煌きが何かを彼に対して暗黙に語っているようだった。
―――ある瞬間、彼は頓悟した。
はっと顔を上げる。黒い髪がさらりと動く。
中空を見据えるその目には、何か確信をもった輝きがあった。
右手を軽く握り締めて、言った。
「そうか。これは……魔法の国で最も優秀なエージェントの私に対する挑戦なのか……っ」
「まさか、そんな馬鹿な話があるわけないでしょう。
って、まずそもそもロジャーさんが優秀なはずないし」
独り言に入った鋭いツッコミは、机の下から聞こえた。
驚きながら机の下に顔を入れると、なんと床が抜けて下のダポンが見上げている。確かに実験室は下の階だったはずだが、こんな穴を作った覚えはない。少なくとも今朝までは。魔法使いが逡巡しているのを読み取って、薬剤師はさらりと言葉をつなげる。
「壊れちゃいました」
「これは壊したというんですよ。
それより、この手紙はどういうことですか?」
「手紙?」
ロジャーはその穴から慎重に下の階へ降り立つ。魔法の箒を使わなくてもこのくらいの空中浮遊なら出来る。一応曲がりなりにも魔法の国でも選ばれた魔法使いしかなれないエージェントなのだ。
ダポンの実験室は三室をぶち抜いて作ったので、天井は低いが広さは十分にある。それでもその大半は魔法薬精製のための器具で埋まっており、しかもその半分は四六時中動いて蒸気を出している。吝嗇が脊髄に染み込んだダポンでも実験器具には金に糸目をかけないで買っていたのを見て、その金額にロジャーも驚かされたものだ。そして薬局の経営が常に赤字だということを今更ながら納得したのだった。
狸は、今、安楽椅子に座りながら分厚い書類に目を通していた。珍しく実験していないな、と思ってよく見ると、株主報告用の書類らしい。一応これでも―――判決の都合上―――あのダポン薬局の社長だということをつらつらと思い出した。
あれだけの大事件があったにもかかわらず、ダポン薬局の経営は上々なのだと聞いている。ダポン側の提示した補償が非常に良かったらしく、しかもその後に会社を挙げて始めた慈善事業やそれまでの薬局の評判と相俟って結果的に良い評価に傾いたそうだ。
経営は危機を好機に変えろ、って昔から言うんですよ、と豆ダヌキは何事もないようにロジャーに語ったことがある。それにしても見事な手腕だ。普通ならば倒産してもおかしくないというのに。
「自分で殴った手を痛めて悶えていたくせに優秀とはねぇ、全く」
手紙を受け取りながら呟かれた揶揄に、魔法使いは頬を染める。だが相手はこれ以上言うつもりは無いのか、すぐに手紙を取り出して目を落とした。その一枚の紙の意味がわかったのか、成る程とダポンは小さな声で呟いて一人笑壷に入った。
「わざわざ私が取ってきてやったんだぞ。
少しは感謝の気持ちを示したらどうなんだ?」
「……別にとって来なくても良かったんですけれど。だから放っておいたのに」
「なんだと?」
手紙をしまいながらダポンは溜息をつく。
「ゾロリさんと前の手紙で暗号を決めていたんですよ。一通料金不足が届いたらOK、二通届いたらNO。ほら、あの人たちお金ないですから。
ロジャーさんが払っちゃうなら手紙書いていいですよって言わなきゃ」
暗号をしようとゾロリの一文を読んだとき、ダポンはなんて面白い案だと思った。だが直ぐに恥ずかしくなったので、手紙には素っ気無く『それでもかまわない』と書いただけだった。……最近になってようやく、彼も案外にゾロリと気が合うことを自覚してきた。
傍から見ればウスターソースを町にばら撒こうとするとかどう見てもゾロリに近い属性があるのが明らかなのだが、それはともかくとして、二人の文通はあの事件が終わってからも長く続いていた。ゾロリが送ってくる荒唐無稽な嘘か本当かわからない旅の話は、ダポンの心の奥底を刺激する。ダポンが送る不思議な魔法の国の話も、ゾロリは面白がってイシシとノシシに読み聞かせる。しかも、ゾロリもダポンも、自分が思ったときにいきなり手紙を送る勝手気ままの性格で、返信も適当にしかしない。互いの気質は結果的に良い方へ影響した。
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