[ [ [ 花嫁大作戦、失敗。 2 ] ] ]
「へえー、本当に王子だったんだなお前」
久しぶりに会った男の第一声は、それだった。
かんかんと窓が叩かれて、ガオンが仕事を止めて振り向けば見慣れた顔がそこにあった。黄色い耳をぴくぴくと動かし、イタズラしてやろうと狡賢い笑みを浮かべている。窓の留め金を開けてやれば、まるでそこが当然の入り口であるかのようにゾロリは上がりこんできた。
まあ、お城の門から入るには彼の風体では難しいだろう。シルクハットに、黒いマスク、青の全身タイツと赤いマントの怪盗ルック。これだけ怪しい人間を素通りさせるほど、門番も無能ではない。
何を今更、と思うと、ガオンは一気に不機嫌になった。
「王子で悪いか」
旅暮らしの世界のみで生きているゾロリと比べると、ガオンにとっては、『王子』という肩書きは皮肉なものでしかない。不自由の象徴だ。
だが、ゾロリは王子の機嫌の悪さなど欠片も気にせずに、別にーと軽く言い返した。むしろ今は、別の大変重要な目的がある。何しに来たんだとばかりに刺々しく睨みつけてくるオオカミを、ちらりと一瞥した。
こいつが、女装かー。
うーん、睫は長いし金髪だから結構美人かな。ママさんも素敵な人だもんな。……いやいや、待てよ。こいつ案外筋肉がついているし、こう見えて毛深いからなぁ……。
―――あまり、綺麗じゃないな。
値踏みするような厭らしい視線に、ガオンの眉間に皺が寄る。
彼と会えるのは嬉しいが、今までの経験上、こういう目をする時のゾロリは良くないことを企んでいるのに間違いない。
「俺様の旅の英雄譚を聞かせに来てやったんだぞ。もっと楽しげな顔をしてくれていいんじゃないのー?」
「失敗談の間違いだろう。
……ああ、わかった。まぁ、そう怒るな。じゃあ、本当に英雄譚かどうかしっかり聞いてやるから。
悪いが先に隣の部屋へ行っていてくれ。今飲み物を持ってこさせよう」
ガオンの部屋の隣には、緑のソファと低いテーブルが設えられただけの客間が用意されている。ガオンは自分の机にある受話器を持ち上げて、執事に酒を持ってくるように告げた。ゾロリが訪問してきた、と言うと、向こう側で息が飲む音が聞こえる。執事からメイドまでがうんざりとした表情に変わった様を思い浮かべて、悪戯な王子は口角を引き攣らせた。国賓級の持て成しを、今の時間から直ぐに整えろ、と言ったに等しい。
隣の部屋に行くと、ゾロリはソファで足を組んで既にくつろいでいた。
ひらひらと手を振って招いている。まったく、どちらが客なのか。
「そんなに面倒なことしなくていいんだぜ? ちょっと話すだけなんだから。執事さんたちに迷惑かけんじゃねえぞ」
「なに、軽食を頼んだだけだ」
しれっと王子は嘘をつきながら、彼の目の前の席に座る。本当だろうな? と呟いて口を尖らせるキツネの目。おそらく信用していない。……あまり華美にしすぎないようにと指令に付け加えるべきだったとガオンは心中反省した。
「で? 英雄譚とは?」
話を反らすために切り出すと、待ってましたとばかりにゾロリは口を開いた。
「聞いて驚くなよ。空前絶後、言語に絶する、自分でも思い出して振るえがおころるような、もの凄いことを俺様やっちまったんだっ! 今までどんな偉人奇人天才鬼才もやったことがねえっ」
ぱっと両手を広げて、その一動作で旅好きの王子の心をぐっと惹きつける。
「つい先日のことなんだ。
ま、その余波のせいでお前のところに来るのが結構遅れたんだけどよ」
女優シンディ・クロヒョードに携帯電話番号を教えたこと。
その時へまを踏んで捕まりそうになったこと。
女装をしたこと。
女装のまま警察署で保護されて、大変だったこと―――。
ゾロリが熱く語るうちに、頼んでおいた国宝級のワインと十種類以上のチーズのセットが出てきた。彼はうひょぉっつと歓声を上げて嬉しそうに飲み始めるが、狼の王子は少しも手をつけない。
話はまだまだ続いた。
―――イヌヤマ タクジがプロポーズの返事を勘違いをして大変になったこと。
イヌタクの家に泊まって逃げられなかったこと。
結婚式でイシシとノシシが助けてくれたこと。
その後一週間森で暮らさなければならなかったこと―――。
ガオンは膝の上に肘をつき、手を組んで、顎を乗せて聞いていた。真摯な瞳の先には、イタズラの王者を目指す旅人が手振り身振りをつけて楽しそうに物語っている。ゾロリがこうやって城に忍び込んでくるのは初めてではない。時折来ては、旅の様々な話を聞かせてくれる。その時のガオンは、大抵、嬉しそうにしている。見たことのない世界の話は楽しいし、しかもゾロリ一行はまるで夢のような事件にばかり巻き込まれるのだから。
だが、今夜は違った。
狼の瞳に深い闇が浮かんでいたことに気づかなかったのが、今夜のゾロリの最大の失策だっただろう。
話に一息ついたゾロリは、ワインをなみなみ注いでぐいっと飲み干す。イシシとノシシには宿を取って寝るように指示したから、今夜は幾ら酔っても構いやしない。
「ほう。やはり失敗談だな」
ぼそりと、ガオンが呟いた。話が丁度区切りがついたときだった。
その評価にいたく不満なゾロリは直ぐに反論する。
「英雄譚だろうがっ! 警官一人を結婚させるまで騙してやったんだぞ。お前にそんな完璧な女装が出来るのかよっ!?」
「私が女装なんてするはずがないだろう。
お前みたいに捕まることなんかしていないからな」
へっ、とゾロリは鼻で笑って、掌を上に向けて肩を竦める。
挑発的な態度に、むっと王子は口をへの字に曲げた。
「そーいって、自信ないんじゃねーのー。
お前、俺様の真似ばっかだもんなー。それに、口先だけだしー」
「女装くらい、この完璧な私に出来ないはずがないだろう。警官の一人や二人騙すことなんて容易い話さ」
「言ったな」
ゾロリの口元が大きく歪む。
彼は、今、最も聞き出したかった言葉を手に入れたのだ。
ガオンは荒々しくグラスを持ち上げて、一杯目のワインを一気に飲み干した。瓶のワインも、チーズも全てゾロリが食べきってしまっている。
穏やかな時間の片付けは、終わった。
ガオンとゾロリは真正面から向き合って、少しの時間が流れる。
声こそださなかったものの、キツネの大きな瞳も、狼の鋭いブルーグレーの瞳も、雄弁に語っていた。二人の好戦的な気質を互いに刺激しあう。
嵐の前触れのような静けさ。張り詰めた不穏な空気。
その言葉は、どちらからともなく出た。
「……じゃあ。
勝負だ」
もう後戻りは出来ない。
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