[ [ [  No pain,no heart.  3  ] ] ]


 一分以上の間を空けてから、ゾロリは小さく嘆息した。
 結局根負けしたのは、キツネ。
 ほら、主導権は全部自分にある。この物語を書くのは俺だ。タヌキは小さな勝利にせせら笑う。
「そう、か。
 じゃあいいんだけどよ。
 それと、どうしてソースなんか飛ばしたんだ?」
「飛ばしちゃ悪いんですか?」
反射的に突き放す様に言い返す。
 だがゾロリも一拍の間も置かずに言い返してきた。
「悪いだろ。
 悪くなければ飛ばさないだろう?
 悪いとわかっているから飛ばしたんだろう?」
思わぬ攻撃的な調子に戸惑ったが、暫くして、逃亡者は口を開く。
 いつもの、彼らしい、後ろ向きな答えを。

「屁理屈ですね」

二人の間の時間が一瞬止まった。
 そして、キツネがなんともいえない不機嫌そうな呻き声をあげる。
「あーそーかー。屁理屈……屁理屈ねぇぇぇっ。
 いやぁー、お前の意味のない行動をキレーに棚に上げて屁理屈とか言われると、なんだか、こう、胸の辺りがもやもやーっとするんだが……」
「そうですか。残念ながら俺は根っからの享楽主義なもので、そういうことはとんと分からないのですよ」
ばんっ!
 その答えに、思わずソロリは診療台を思いっきり叩きつける。
「享楽主義は関係ないだろがっ!
 難しい言葉使えば騙せるとか思ってるだろっ。絶対そうだろっ!
 お前はたんに自己チューなんだよっ。ちったぁ自覚しやがれっ。
 ……うわ、頭痛くなってきた。しかも今、自己チューで思い出した。
 その自分最高な性格はまあいいとしてもだな。いい大人が、自分の顔に似せてビルやら秘密基地やら不思議なもの作るのはちょっとどうかと思うぞ」
ダポンビル、ダポンカー、秘密基地、ソースを飛ばす機械、携帯電話……その他諸々。ゾロリの上げる言葉に金を惜しみなく使った自信作を貶されて、ついとタヌキは口を尖らせる。
「えー。自分の顔使って、なにか悪いですかぁー」
思わず地の声が出た。
 年相応な小生意気な口調に、ゾロリは笑って言い返す。
「趣味が悪いわ。ネリーちゃんも呆れてたぜ」
「だって貴方の変態レオタードの腰のベルトは、自分の顔でしょう」
「あれは俺様のトレードマークっ! てか変態ってっ!」
「ベルトも含めて、ダサいし」
「おまえぇぇぇぇぇーええええっ!」
キツネが剥きになっている顔が思い浮かんで、やたら朗々と声を張り上げて笑った。揶揄すれば真っ直ぐ怒っている反応が面白くて、変な方向で気が緩んだ。
 こんな風に他人と打ち解けて気持ちよく会話したのは、凄く久しぶりだ。少しだけ、この不思議なキツネを身近に感じた。父を思い出した。……魔法が使えない相手と話すのは、楽しい。魔法で別の者と会話しているとか、まずいことはいえないとか、そんなことを思わなくて済むから。
 警戒心が解かれてきたのを感じて、ゾロリは再び同じ問を口にする。
「で。
 そうそう、あの変テコリンな気球、どうして飛ばしたんだよ?」
「ヘンテコリンって……。
 魔法使いが嫌いだから、復讐するためですよ。
 ウスターソースが町に降って来たら困るでしょう?」
と。
 さっきまでとは打って変わった答えが返ってくる。場違いに弾んだ口調で、昨日の大事件の底をあっさりと暴露する。
 ねえ、と同意を求めるように親しげにダポンが言った。
 ―――空白があって。
「あはっ、ははっ、はははははっ!
 やっぱり、そう言うんだな。お前は。止めてくれよ、もう笑わせるな」
呵呵大笑。
 キツネは電話の向こうで声を上げて腹を抱えている。
「犯人が動機を告白したっていうのに、笑うなんて失礼だなぁ」
言ってから、ダポンも同じように笑う。
 その動機を口にすると、何もかもが可笑しかった。
 個人的な恨みを属性持つ者の全ての恨みに摩り替えて、迷惑な行動に走る。両親との不和を基にして大人全体が悪いと言い放つ子供の主張。解職された恨みをこの社会が悪いのだと思い込む愚者の言い訳。まさしく、三流の悪役の理論じゃないか。
 面白くて面白くて、笑いが止まらない。
 いつの間にか電話から聞こえる笑い声が一つであることに、気がつかない。
 ゾロリはとっくに笑っていなかった。

「そんな答えだったら」

涙を指で拭きながら、あれ、と違和感を感じて青年は意識が止まる。
「わざわざ訊くわけねえだろう?」
突如、冷めた言葉。
 その声から伝わるのは、壮絶な怒り。
 意表を付かれた逃亡者は息を詰まらせる。相手が笑っていたものだと、あのにやついた笑みを浮かべていたものだと思っていた……のに。
「俺様を侮るのもいい加減にしろ。
 あんな針で強いゴム壁が破れるかどうかなんて、見れば一発でわかる。その程度のこと。
 イシシとノシシが思いっきり揺らしたのに、全然、ちっとも傷つかねのはオカシイだろう? 違うか? だから焦ったんだろう? あれが割れないとばれると困ったのだろう?
 止める装置に白と黒の線か。凄いな。面白かったぜ。何馬鹿な演出してるんだよ。どうして自動装置と手動装置を切り替える配線が、あんなに単純なんだ? そのくらい見れば全て―――」
 続く言葉に聞くに耐え切れず、ダポンは咄嗟に電話機から耳を離す。
 だが、遅すぎた。五月蝿いくらいの心音が、耳の中で響く。それが陰惨な記憶を掘り起こして永劫の苦しみを齎す大合唱を奏でる。
 胸の奥で、ひくついていた恐怖が、いきなり炸裂した。
 声を張り上げ、絶叫。
「うるさいっ、うるさいっ、煩い煩い煩い煩いぃぃっ―――」
携帯を宙に放る。
 錯乱のスイッチが入りそうなぎりぎりの瀬戸際に立って、ダポンは蹲る。心音と同じ速度の浅く早い呼吸を繰り返した。
 息が吐けない。苦しい。
 だが意識を手放すのは怖い。泣き惑うのは恐ろしい。理性を失ったら、魔法使いは馬鹿にして嘲弄するだけじゃない。
 殴ったり焼いたりするだけじゃない。
 何をされるかわからない―――

 忘れろっ。忘れるんだっ。

 襲りくる記憶の波を鎮めるため、己に『言い聞かせ』て、全てを『忘れたこと』にする。嫌なことは全部忘れた。だから何もかも忘れた。切れ切れの別の記憶を貼り合わせてそこに蓋をする。
 肩で息をつきながら、彼は両手で面を塞いだ。一、二、三、四……と十秒、ゆっくりと心の中で数えてから手を外す。
 そこには、いつもの『顔』。
 頭を巡らせば、捨てた携帯はすぐに見つかった。必死に名前を呼ぶ声が聞こえていたからだ。
 携帯を拾い上げると、ゾロリに動揺させられたことを反省しながら、再び携帯に耳をつける。
「ダポン。ダポン……おいっ!」
「……すみません。
 ―――ええと、それで? どうかしましたか、それが?」
使い古されて、手垢まみれになったこの『顔』。
 それさえつければ、ほら、もうなんでもない。


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