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この家の冷蔵庫や食料庫には太い南京錠がかかっている。しかもそれは魔法使いしか開けられない特別仕様だ。ロジャーに頼まない限り、この家ではお茶くらいしか自由に口には入れられない。
昼から何も入っていないダポンの胃腸には、一時間という時間は長すぎた。勿論魔法の薬草は食べることはできるのだが、吝嗇家の彼がどうしてそんな高価なもの食べられようか。研究に没頭して食料を買い込むのをすっかり忘れていたことを、今更になって悔やんでも悔やみきれない。
さてどう出るかな、と魔法使いは楽しみに次の言葉を待っていた。
今までのところ、五回に四回は引き下がって耐え忍んでいるが、一回くらいは素直に食べさせて欲しいと強請ってくる。そこを弄るの昨今の一番の楽しみだ。
ぐぅぅぅ〜ぅ。
二度目の悲鳴は、いっそう悲壮感が漂っていた。
「夕飯までは外出禁止だ。
―――ダイニングで大人しく待っていろ」
買い食いに出ようと考えていたダポンを、軽く先制する。
むぐっ、と喉に息を詰まらせる小気味の良い音がした。
ロジャーは体を返して鍋に向かう。ざっざっと丁寧に木ベラを動かしているうちに、深鍋の中には狐色の玉葱が出来上がっている。手際よく残りの材料と水を注ぎいれ、蓋を閉じた。
「今夜はカレーだぞ」
「……どうせ一時間後なんでしょ」
ついっと口を尖らせる。低血糖のせいか、いつのまにか例の作り物の笑顔もすっかり消えうせてしまっている。憎たらしい顔をしているが、それすらもロジャーを楽しませる一つだ。
傍若無人の同居人が笑っているのが心底面白くなくて、ダポンは目を怒らせた。
「何か食べさせて下さいよっ!」
「向こうで待っていろと私は言っているんだ。何度も言わせるな。
……どうせ大事な仕事があるんだろう? ならやればいいではないか」
火を見ながら、一時間程よい火加減が途切れないようにするための魔法を口ずさむ。敢えて無視する意地悪な料理人に、腹が立ってしょうがない。
ずるい、あまりにもずるい。―――まあもともと性格はアレで行動もアレな人だとは知っているが、食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
「ロジャーさんは魔法で空腹抑えているからいいですけど、お腹空くと仕事に集中出来ないんですよっ。後一時間もあるんでしたら、冷蔵庫開けてくれてもいいでしょっ」
声は迫力あるが、バックコーラスの腹の虫が間が抜けていた。追い詰められているのだろう、ぐーぐーぐーと音が途切れない。
今日は昼飯の量が少なかったし、お八つの時間もとらせなかった。いつも以上に腹が減っていて当然なのだ。
そろそろだな、と一人ごちてロジャーはくるりと振り返った。
顎に手を当てて、満面の笑顔で見下ろした。
「なら、今夜は私を楽しませてくれるんだろうな」
やっぱり。
―――と、ダポンは内心毒づく。ロジャーが取引を持ちかけるときはいつもこれだ。
二人暮しを始めてからも狸は部屋の隅で丸くなって眠る癖が抜けず、寝室まで運ぶのですらいつも一苦労だ。ましてやそこから夜の営みに発展させるには、必ず口答えと喧嘩と魔法による強制という段階を経なければならない。
うぅぅぅぅ、と狸は心底嫌そうな顔をして呻いているが、首を横には振ろうとはしない。しかし明日の体調を考えると、頷くのも出来ない。二つの欲望が鬩ぎあって体が硬直してしまっている。
己の勝利を確信したロジャーは、スパイスの調合を始めた。
いい香りでさらに追い詰めてやろうという作戦である。そのためにわざわざミルクカレーにしたのだから。
「……ちなみに、何を食べさせてくれるんですか?」
「カレー用の肉がある。
それを二切れまでなら許してやるぞ?」
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
一際大きい音が鳴った。
ダポンの脳の三分の二は、正直、カレーに負けていた。完敗だった。だが、こんなサル知恵並みの見え見えの作戦に負けるのが嫌で嫌でしょうがないのだ。腹を摩りながら思考回路はぐるぐると同じルートを回り続けている。まるで抜けられない大迷路。だが、まあ、結局のところどちらかを諦めなければならないのだが……どちらも諦めたくない。
スパイス作戦が上手くいってないことを横目で見ながら悟ったロジャーは、お肉大作戦に移った。冷蔵庫からすでに切ってある高級牛の塊を取り出して、フライパンを温める。生でも十分食べられそうなほどに美味しそうなそれは、ダポンの視覚を致命傷の勢いで攻撃した。
彼の太くて丸い尻尾は、本人の意思とは関係なくぱたぱたと蠢いている。
「あうぅぅ……あぅ……」
愛らしい呻き声が聞こえるが、今は我慢だとロジャーは自分に必死で言い聞かせた。
普段から可愛い可愛いと思っているが、この切なげに我慢する恋人(本人曰く)は最高に可愛いと思う。尻尾、涙目、垂れた耳の先までたまらないオーラが立ち上ってロジャーの欲情を刺激する。いくら恋人(本人曰く)に変態と罵られようとこの趣味だけは変えるつもりは無い。
熱したフライパンに肉を放り込むと、じゅぅっ……と良い音とともに湯気が立ち上った。
その香り。
文字で著すことは絶対不可能な、芳しい、食欲をそそる最高の麻薬だ。
―――ぶちっとダポンの中で何かが千切れるような、そんな錯覚を覚えた。
「わかりましたよっ。
なんでもしますから、二切れ下さいっ」
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