[ [ [ Run! ] ] ]
逃亡犯と魔法使いの住む家の周囲には、魔法の国でも有名な密林に近い森が広がっている。
ダポンは飛んでいる魔法使いに見つかりにくいよう敢えて茂みの濃い方へ向かう。道なき道を進めば、当然、整備されていない大地は木の根やらなにやらがあるわけで。
「うっ」
躓いた、と理解したには体は激痛を訴えていた。
全速力で走っていたので、ごろごろと激しい回転をして太い木にぶつかる。その瞬間の衝撃で息が止まった。
仰向けで動けないでいると、そこへすとんと魔法使いが舞い降りた。
「ダポンっ! お前っ」
上空から見ていたのだろう、真っ青な顔をしたロジャーは駆け寄ってすぐに同居人の身体を確認する。
右手が魔法で光を帯びている。
彼ほど優秀になると、簡単な呪文は朗詠をしなくても魔法の構成が可能になるらしい。それは恐ろしく高等な技術だという話を、なんとなくダポンは思い出しながら、荒く息をつきながら見つめていた。淡い光を帯びた手が柔らかな毛に包まれた体に触れると、その部分が痛みや傷が消える。服すらも直ってしまう。
痛みがなくなってもダポンが寝転がっていると、治療に飽きたロジャーが顔を覗き込んできた。実際のところ転んだせいではなく、一生懸命走ったせいで動けないのだが、それは悔しいから言わない。
全身汗だくで肩で息をついているが、目に光が宿っていると見て取ると、ロジャーは小さく安堵の息をつく。
……さて、帰るか。
周囲を見回してみると、かなり遠くまで来てしまったようだ。
ダポンのヤツ、相当走ったな。私から逃げるなんていい度胸だ―――と思うと自然に視線が冷たくなる。夕食の用意はまだしていないから、急いで帰らなければならない。
どうせ言っても素直には動かないだろう。それにかなり疲弊している。無理やり連れて帰るために、ロジャーは低い声で呪文を口ずさんだ。
多くの魔法使いが使う、捕獲用の呪文。
―――理解した瞬間、ダポンの表情が強張った。
太い魔法の縄を召還し、一瞬で獲物の周囲に巻きつく。そして獲物をきつく縛り上げて身動きが取れなくなった後で、空中に引き上げるのだ。縄が食い込む痛みにもがけばもがくほど、さらに締め付ける。あの激痛。あの息苦しさ。
縄自体は魔法ですぐに壊れてしまう脆弱なものだが、物理的力ではまず破壊できない。魔法使いには無意味な呪文だが、動物相手には効果的で、すなわちそれは、魔法の使えないダポンにも非常に効果的だった。逃亡犯として追われていた時にしょっちゅう襲われた。……否、逃亡する以前にも幾度も襲われたことがあった。
魔法が使えなければ、この国では動物と同じだ。
その呪文を聞くだけで、反射的に身が竦む。そのくらいの恐怖が脳裏に刻み込まれている。
その魔法はロジャーがアレンジを加え、そんな非人間的なものではないし苦しくないようになっている。それは彼も知っている。だが、もはやそういう話ではない。
男の頭上に見覚えのある縄が現れた。
口から零れる僅かな悲鳴。合わない歯の根が鳴らす、カタカタと小さな音。
震える瞳が、月明かりを浴びて魔法使いにも見えた。
……ダポン。
ロジャーの唇が動いたが、声が出ない。
小刻みに震えるそれを見た瞬間、彼の胸に、切れ味の悪いナイフが刺さったような鈍い痛みが走った。
端的に言ってしまえば、罪悪感。
無知だった己に対する罪悪感。……魔法を使えない者に魔法を使うことが何を意味するのか、この年になってようやくわかった。もう、何もかも、遅すぎる話だったが。
ロジャーは詠唱を止めた。
あの恐ろしい縄は消え失せていた。
そのまま彼は箒を魔法で呼び出すと、それに跨って手を伸ばす。
「おい、帰るぞ。早く乗らないか」
相手の真意が測れずに怯えながらも、ダポンは立ち上がっておずおずと後ろに跨った。
不安げな顔をして、ロジャーを見上げている。
魔法使いは、安心させるように笑ってやった。怒ってない、と伝えるために。
ダポンはこわごわとその腰に手を回す。彼の運転は速いが荒い。ぎゅっと力が腕に込められる。
ふわりと浮く魔法の箒。
空には禍々しくも清らかな満月。
星の煌きを消してしまう程に皓皓と夜の森を照らしている。
でも、まあ、チョコレートをくれたのだから。
背中のぬくもりを感じながら、ロジャーは、穏やかに口元を緩めたのだった。
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