[ [ [  A bad boy and a bad girl 1  ] ] ]

 
 鍵のかかってない扉を開いたミリーは、微妙な違和感を覚えた。
 それは、言葉に出来ない種類のもの。第六感が警鐘を鳴らす。確かに見慣れた空間であるのに、まるで別の家に帰ってきたような雰囲気がある。
 疑問を抱えながら靴を脱ぎ、リビングへと向かう。そこに至って、彼女は違和感の正体に気がついたのだった。

 なんと、ネリーが静かに椅子に座っていたのだ。

 テレビもつけず、本も読まず、落書きも宿題もしないで。俯いて、考え事をしているのか、視線は何も無いテーブルの上で結ばれている。
 茶色の鼻は垂れ下がり、どことなく自慢の髪の跳ね方もしょげているように見えた。ミリーの全身から血の気が一気に引いた。ついでに持っていた荷物が床に落ちた。元気が取り得のネリーが塞ぎこむ、これは大事件に違いない。
 少女はつい最近、大きな騒動に深くかかわった。そして、情報局員たちが犯罪者を追い詰める様を目の前で見た。そして泣きながら必死で叫んだ。あの事件がこの幼き者に齎した悪影響は計り知れないのだ。

 学校は休んでいいっていったのに、嗚呼、もう、無理をするから。
 姉を心配させまいと健気に笑って。そんな気を使わなくていいのにっ! 無理をしなくていいのにっっ!

 気づけば勢いよく駆け出して、小さな少女を椅子ごと物凄い力の限り抱きしめていた。
「ネリーっっ!
 嗚呼っ。どうして貴女は無茶ばかりするのっ!
 お姉ちゃんをこれ以上心配させないでっ」
が、自分の考えに籠もっていた少女には晴天の霹靂だ。ありがた迷惑どころかむしろ一種のホラーだ。
「ひゃぁ、うわぁぁぁぁっ! お、お姉ちゃん!? お、お帰りっ」
大きな目をぱちぱちと瞬かせる妹の頬に、自分の頬をすりすりとなすりつける。
 子供特有の柔らかな肌の感触。そして、小さな身体から聞こえる、不自然な程早すぎる心臓音。

 いったい……いったい、何があったのネリーにっ!?

 原因は間違いなくミリー自身なのだが、込み上げる妹への愛おしさにすでにまともな状況判断が出来なくなっていた。年の離れた兄弟は可愛いというが、ミリーの愛情は少々常軌を逸している。
「いじめ!? それとも、何かひどいことを言われたの!? 揶揄れたの!?
 なんでもお姉ちゃんに言いなさいっ。悪いようにはしないからっ。安心してっ。軽く百倍返しにして文句が出ない様徹底的に伸してあげるわ、そういうの得意だから任せて。
 ……もう、学校なんか休んでいいのよ。ていうか休みなさい。いろんなことがあって、とてもとても大変だったでしょう……」
いきなりテンションマックスの姉に吃驚したが、彼女の不穏な発言にさらにネリーは驚いた。
 ……そういうの得意ってなにそれお姉ちゃん……。
 疑問はとりあえず胸の奥に沈めて、焦りつつも声を上げる。
「ち、違うわよお姉ちゃんっ。何もなかったって。
 今日もすっごく楽しかったわよっ、学校! みんなで氷鬼して、三角定規忘れたけど何とかなって、それとそれと、算数で褒められちゃったのよ。しかも、先生から面白い話を聞いて…………ええと。
 あっ! ネロネーラの海老かき揚げだっ。
 私これチョー大好き」
少女は言いながら、ミリーが落としたビニール袋を発見して指差す。
 それは、帰りがけにデパートの地下で買った夕飯のおかずだ。普段はミリーが全部作っているが、たまには足を伸ばして街の中心街にあるデパートへ向かう。きっと、妹が喜ぶだろうと思って。
「お腹すいちゃった。お姉ちゃん、今日遅いんだもの」
「あ、じゃあ、ご飯すぐに作るわね」
「うん。お手伝いするね」
ミリーの手が緩んで、ネリーは直ぐに椅子から降りるとその袋を持ち上げて台所へ向かう。少しして、きゃあ、と予想通りの歓声があがった。奮発して海老かきあげにキス天もつけたのだ。
 どうやら、一応は元気らしい。
 ほっと安堵しながら、床に落ちていた他の荷物を持って自室に戻る。着替えて化粧を落としてから戻ってくると、妹が包装紙を開いた天麩羅の前で目を輝かせていた。
「ネリー、それを温めてくれる? 暖炉のところで火を使っていいから。
 出来るかしら?」
「任せてよ! 炎の呪文はチョー最近習ったのよ」
テーブルの上に美味しい食卓が並ぶにはそう時間はかからなかった。ネリーは温めなおしたかき揚げを丼の上に置いて、たっぷりと汁をかける。テーブルにはすでに箸やワカメスープ、サラダと御浸し香の物が全て並んでいた。
 二人の住む家は比較的都会の中心部にあるが、ミリーがこだわってあえて木の一軒家にした。暖炉付きだったのが決定となった。その分値段も上がったが、妹はとても喜んでくれた。まるで秘密の隠れ家みたいだ、と。
 ミリーは箸を取ったが、寒さを覚えて上半身を捻って振り返る。魔法で暖炉に火をつける。魔法の火はすぐに薪に燃え移り、ぬくもりある空間が広がった。
 ネリー、と声をかけようと、ミリーは振り返った。
 しかし、彼女は口を閉じた。少女は晴れぬ顔をしたまま、一点を見つめて止まってしまっている。

 やっぱり何かあったんじゃないっ!

 直接問い質したい気持ちをぐっと抑えて、箸を持ち、敢えて大きな声で言った。
「じゃあ、いただきます」
「あっ。うん、いただきます……」
姉は食事をしながらちらちらと妹へ視線を送る。ミリーは大好きな海老のかき揚げを箸で分けて、それからご飯とともに口へ運ぶ。手元を見て、姉の挙動には気づいていない。
 普段ならば注意されるくらい喋り続けるし、食事もぱくぱくと平らげるというのに。やはり今日のネリーはおかしい。
 尋ねるべきか、それとも待つべきか。
 ミリーが不安げにその大きな瞳を瞬いた、その時だった。
「お姉ちゃん」
「ん? なに?」
柔らかな声を取り繕うと、ネリーはさっと顔を上げてた。
 潤んだ瞳がミリーの目の先に現れる。零れ落ちそうなくらい大きなその目が、泣き出す一歩手前のように揺らいでいるではないか。

 ―――泣かした奴、殺す。

 脳裏に百の完全犯罪の方法が浮かんだが、ミリーはいけないいけないと心を落ち着かせながら笑顔を作り上げる。完全犯罪の基本は、誰にもばれない様にすることだ。
 そんな真っ黒な思考をこの秀麗な姉がしているなどとは露も知らず、実はこの瞬間、ネリーは一大決心をしたのであった。
 学校の帰り道、積乱雲に突っ込んだり魔法バスにぶつかりかけたりと色々と大変な道のりを超えて考えた末に、どうしても、どうしても聞きたいという気持ちが勝った。
 彼女は、選んだ。パンドラの箱の蓋を開けることを。
 箱の最後には希望という何かが残っているかもしれないのだから。
「あのね、あのね。
 魔法学校では、お姉ちゃん、ダポンさんと同じクラスだったって本当なの?」
「ええまあ……五年生までね」
ネリーの今通う魔法学校は、ミリーの母校でもある。そして、薬問屋で例の事件の真犯人であるダポンもまた。辺境の学校のわりに奇人変人異才天才を輩出するところとして意外と悪名高い学校なのだ。
 ただ、魔法の国の教育省の制度上の問題で、ダポンは魔法が使えないために六学年に進級できず辞めてしまった。
「そしてロジャーさんが先輩だったんでしょ?」
「そうよ。先輩、一つ上で生徒会長だったのよ。らしいでしょ」
うふふふと笑ってみせると、何故だか妹の顔が引きつる。
 何かあったのかしら、と思いながらミリーはワカメスープをすすった。ゴマが少々、隠し味だ。部屋がじゅうぶん温まってきたので、ミリーは半身を振り返って火を弱めた。
 妹は口に指を当てて何か思い悩んでいたようだったが、ある瞬間、首を上げた。
 視線を反らし難い透き通った瞳がミリーの心を握り締めた。
「お姉ちゃん。
 校舎が燃えたって……本当?」

びしっ。

 音を立てて、美しい顔が凍てついた。
 もはやその表情で全てを物語っているようだったが、運良く、質問した少女はそれには気づかない。指をこすり合わせて自分の考えをまとめるために俯いていた。


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