[ [ [ Good night. 1 ] ] ]
広い寝台の上で横たわる狸の背中の上を、細い指が這い回っていた。指は茶色の毛を始めは優しく撫でるだけだったのだが、次第に動きが荒くなった。時に円を描き、時にはひっぱったりつねったりして、少しも休まることのない綺麗な指。一見固そうだが、実のところ高級の絨毯のように柔らかな毛は、ロジャーに心地よい刺激を与えて魅了する。そして、ついつい、相手が嫌がるまでずっと触り続けてしまうのだ。
「…………くぅ」
小さな呻き声があがった。寝台に腰掛けている余裕な表情を見せる魔法使いは、その声に口角を上げる。
ようやく、か。全くずいぶん待たせてくれたものだ。
ロジャーは背中を摩るのをやめて、背を返して寝台に上ると、ベットが僅かに軋みをあげた。起きたばかりの豆狸は、暫くはぼんやりと虚空を見つめている。が、意識が明瞭になるに連れて全身に痺れるような鈍痛が走る。痛みと恐怖で混乱しながらも、ぽろぽろと大粒の涙を零し始めた。
「いやだぁ……もう嫌です。
痛いの嫌い。痛いの、嫌いなんです。止めてくださいって、言っているじゃないですか。なんで、どうして、聞いてくれないんです…………」
「嫌とはなんだ。
これからは私の番だ」
あぅ、あぅとすすり泣く声がロジャーの劣情をちくちくと刺激する。
別にそういう趣味はないつもりだが、最近なんだか新しい感覚に目覚めてしまったようだ。
泣きじゃくる狸を背中を抱き上げて、自分のほうへ引き寄せた。体が疲れ果てて動けない同居人はされるが儘だ。背を密着させて、右手を前に回しやわやわと腹部の白い毛をもみ始める。外の毛も良いが、こちらの毛の柔らかさも魔法使いの好みなのだ。幾ら愛撫しても飽きることのないぬいぐるみ。ロジャーの口元が緩む。
男の意思を悟って、ダポンは一気に血の気が引いた。さらに涙が零れてきた。
「……お願いします…お願いしますから…」
掠れた声でただ哀願だけを繰り返すが、後ろの男が聞いている様子はない。しかし、身体を這う気色の悪い手を振り払う余力もなかった。もはや彼の中では、限界だったのだ。
そもそも通常状態でも性的欲求に薄く、持久力もこの手に関する耐久力もない。一回も遣れば十分で疲れきって寝るものだ。にもかかわらず、今夜は彼の手にかかって二発も強制的に出されていた。
ロジャーの夜の性格は、ダポンとは対極の極致を行く。万年発情期の上、持久力はダポンが知っている限りでは三倍以上だ。耐久力も並みではない。
彼にとってはただの前戯のつもりであっても、相手にとっては虐待―――そんな擦れ違いが、もはや彼らの夜の日常であった。
「まあ、そういうと思ってな。
―――今日は良いモノを持ってきた」
と、耳元で独特の高圧的な声が聞こえた。
同時に虐待を始めた手が止まり、何が起きたと不安そうな表情でダポンは首を回す。肩越しにある同居人の整った顔。それが何故だか嬉しそうに微笑んでいる。
反射的に、狸は喉奥で悲鳴を上げた。こいつが笑ったときに限って悪いことばかり起こる―――という格言が、もはや豆ダヌキの本能に書き込まれていた。そしてそれは大方の場合に当てはまる。逃出そうと身体を動かしてみたが、存外に筋肉質な腕に阻まれて巧くいかない。
一方ロジャーは、自分の行動に期待している違いないと勝手に同居人の気持ちを決め付けて、ダポンを抱きかかえたまま半身を回した。左手を伸ばして、寝台の横にある小瓶を取り上げる。掌に収まりそうな小さな瓶。これさえ見せれば大喜びして尊敬してロジャーさんありがとうと愛らしい言葉を言ってくれるに間違いない、と魔法使いの妄想はどこまでも果てしなく暴走していく。
鼻歌でもあげてしまいそうな気持ちを抑えて、ダポンの目の前にそれを持ってきた。逃げ出せない様な姿勢をとられているので、狸は無視するわけにはいかない。
小瓶に貼ってある、ピンクのラベル。
『最高特秘蜜男宝★
あの超絶秘蜜男宝がバージョンアップして戻ってきた! 一口飲んで魔法をかければ即効で膨れ上がって硬くなる! 彼女と何度も楽しめる幻の持久力。貴方の男根がまるで別の生き物にっ★』
……馬鹿だ。
卑猥な言葉が連ねられた紙片を見て思ったのは、それだけだ。これ以上の苦痛に怯えていた心が一気に冷めた。
意識も冷めたが感情も冷めた。もし仮に二人の間に愛情などというものが存在したら、おそらく千年の愛だろうがなんだろうが冷めるはずだ。
「どうだ。お前のためにわざわざ手に入れてやったんだぞ」
ダポンが強烈に冷めた目をしてそれを眺めていたのだが、残念ながら背中を抱いている男にはそれが見えない。
何故老舗の薬問屋の長男坊で薬調合の腕にかけては魔法の国一番といわれる薬剤師に、こんな低俗な市販薬を自慢できるのか、その神経を疑いたい。
「……っこういうの、結構洒落にならない副作用があるんですが」
ダポンは極力言葉を選びながら非難の意思を伝えようとする。
「ん? 大丈夫だ。副作用や使用後の不快感はないと書いてあるからな」
どうして信じられるんだ、そんな言葉。書いてる時点で怪しすぎだろうが。
即座に思ったが、疲れていてまともに言うのも億劫だったので口を閉じる。副作用がないのならば、製造元と内容を明らかにしてない理由を是非とも聞かせてほしいものだ。それと余裕があるならば、この説明文になっていない使用説明のラベルの理由も。
ロジャーは器用に親指で蓋を開けると、ダポンの口元に持ってきて無言で迫ってくる。首を回して逃げようとすると、瓶をぐいと押し付けてきた。
そのときになって、ようやく魔法使いもなんとなく悟ってきた。同居人が、この薬に対して喜んでいないかもしれない、という現実を。
「嫌です。……こういう安物の市販薬、体質的に駄目なので」
安物、だと?
その一言がカチンと来る。
だったらそうならない薬を、本来ならば愛し合う二人のために(ロジャー曰く)作るべきではないだろうか。
「だって、お前。言っても作らないじゃないか」
「……当たり前です。
どうしてこんな無駄なモノに時間を使わなければならないんですか」
「御託はいいからさっさと飲めっ」
「い〜や〜で〜す〜っ!」
さっきまで気を失っていたくせに、狸は腕の中で手足をばたつかせて最後の抵抗を見せる。
だが、それは、ここまで煽られているロジャーには怒りと性欲を誘う行為以外の何物でもない。
腕に力を込めて逃げ出そうとする動きを完全に封じる。低い声で呪文を詠唱すると、狸の動きがコマ送りしたように急激に遅くなった。非難か何か言おうとしたのだろう、口が僅かに開いたところに瓶の口を押し込めて強制的に飲ませてやる。たしか、一回あたり小瓶半分とか書いてあったがまあいい。事故だ。
「……っごふ、はっ」
「一滴でも戻したら赦さんぞ。
―――まあ、そんなこと、出来るわけもない、か」
ダポンの脇から手を抜いて、ロジャーは目に止まらぬ速さで両手で魔方陣を組む。人差し指の先に光球が出現し、軽く手首を振って放り投げると、それは一直線に狸に向かって走った。ダポンは必死にもがいてそれから逃げようとしたのだが、魔法のかかった状態では不可能だ。
「痛っ!」
当たった瞬間、全身に焼け爛れるような熱さが走る。
その瞬間ロジャーの掛けていた魔法が解けた。
目の前で星が散るくらいの強烈な痛みに、ばたばたと寝台の上を転がる。その様子を満足げな表情で魔法使いはただ見下ろしていた。寝台でもがき、苦しみ、全身を掻き毟る。
暫くして、悲鳴の質が変わってくる。
どうやら効き目が現れてきたようだ。
看板に偽りなし、だな。
待たされたロジャーは、もはや逃げられなくなった獲物に手を伸ばした。
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